消費衝動と本

 

こんにちは、よしだじゅんやです。

昨日はまた親族の飲み会がありました。本当に、またかよ。という気持ちです。けれど昨日は働き盛りの男が何人か集まっていたので、非常に血の気が多い宴会となりました。魔剤である。魔剤。角瓶をモンスターエナジーで割ったのみものを無限に飲み続けていた。僕はいま眠たいのだと思う。体は眠れといっているのだけれど、頭は動けと言っている。つらい。ねたい。魔剤は飲むたびに後悔する。もう二度としなぞ。絶対だぞ。

夜、眠れなくてネットサーフィンをしていた。そしたら久しぶりに消費衝動がこみあげてきて、おさえきれなくなってしまった。最初は服をみていた。普段まったく良いと思わないGUCCIの今期のラインナップをみていた。そうか、GUCCIは消費のためのハイブランドなのだな。という気づきがあった。

買えない。貧乏学生にはGUCCIの服は買えない。だから本を買うことにした。消費したい一心で本を眺めるといろんな気づきがある。ビジネス書や自己啓発本が欲しいのだ。「うわあ、すげえ、俺自己啓発本を買いたいと思ってるぞー」とテンションが上がりながらAmazonのページをクロールしていた。ビジネス書のいいところは鮮度が命なことだ。もっとかみ砕いて発言すると、鮮度の悪い本はたたき売りされていることだ。一年もすればたいていのビジネス書は中古で一円でたたき売りされるようになるようだ。ありがたい。片っ端からパッケージがきれいなうさん臭い本をカートに放り込んでいった。そして購入した。何冊かったのかわからないが本自体の値段の合計は1500円だった。安い。なんだこの満足感は。僕の消費衝動はこうして満たされた。

あしたから、ちょこちょこ本が届き始めるのだろうな。全国の古本を扱う書店からビジネス書がよしだ家に集まってくるのを想像すると楽しい気分になる。おそらく、店主は死んだような表情で本をパーケージして発送し、運送する人は摩耗した感受性でもって運ぶのだ、それを僕がたいして期待もせずに受け取る。地獄だ。本当に地獄だ。
僕は大学3年のころ、本気で本をめぐる環境に惚れ込んでいた。文章を書く人がいて、それを編集する人がいて、それを卸す企業があって、それを販売する本屋があって、それを読む人がちゃんといてさ。その循環を想像すると幸せな気分になった。そして、僕はその循環を豊かにしたいのだろうな。と思った。ずいぶんいろんなことをした(そう表現をするしかないくらいに、本当にいろんなことをしたのだ)その循環の中には、こんな地獄があるのだ。ちゃんと地獄があるのだ。なんだろう、俺の身体は寝たいと言ってるんだけれど、頭は悲しいと言っていて、よくわからなくなってきた。僕は泣きたいのだと思う。けれど体は寝たいと言っている。

今日も読んでくれてありがとう。早朝から、変だ。ぜんぶ正月のせいだ。
読み返したらめっちゃメンヘラっぽい文章だなあ笑。いいじゃないか。

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