受付嬢さん、ごめんなさい

わたしは今、罪悪感に苦しんでいる。

というのも、さっき名駅のJRゲートタワーに入っていったら、受付嬢がおじいちゃんに絡まれているのが見えた。おじいちゃんは手話で「その帽子、変な形だね。寝たら転がりそう」ってずっと繰り返していた。しょうもなっ。

でも、受付嬢は何か重要なことを言おうとしているのか、もしくは頭のおかしい人なのか、判断ができなくて動揺している様子だった。

そして、わたしはそれを助けなかった。間に入って通訳すれば受付嬢は後者のほうかよ〜〜〜って安堵したかもしれないし、おじいちゃんも話し相手ができて喜ぶだろう。でも、わたしはそれをしなかった。

 

ほんとうはね、助けようか迷って5分ぐらい遠目に眺めていた。「せっかく手話がわかるのだから助けなよ」っていう人もいるのかもしれないなあと思いつつ、あれに関わりたくない気持ちが強かった。

だってさ、あれに関わったら高確率であのおじいちゃんのターゲットはわたしに変わるじゃない。手話も通じるし、しかも受付嬢とほとんど同じくらいに若い女の子だ。ぜったいにめんどくさいことになるのが目に見えていた。

しかもたぶんあれに関わったら、警備員に連行される彼の通訳をわたしがやることになってしまうんだろうね。彼はたぶん文字が書けない。手話者の聴覚障害者が文字をかけるようになったのはつい最近の話で、あのおじいちゃんぐらいの年齢だとほとんどの人が文字を読み書きできない。となると、書類の記入をわたしがやることになってしまうかもしれない。

わたしはさっさと帰りたかった。ゲートタワーで目的のセーターだけ買って、浜松に帰らねばならなかった。だからあれに関わるのは正直勘弁したかったのだ。あれこれ考えたわたしは、見て見ぬ振りを選んだ。ああ、罪悪感が襲いかかってくる!

 

わたしはとんでもなく不親切で、傲慢で、自己中心な性格をしている。なぜだか、「優しい」とよく言われるのだけど、それは単にわたしがたまたま愛に満たされた人間だからではないかな。

心はシャンパンタワーのようだといわれていて、頂上のグラスが満杯になる(つまり、自分自身の心が満たされる)と、その下のグラスにシャンパンが届く(家族や周囲の友人へ愛を注ぐようになる)。それらを満たし終えると、さらに下のグラスたち、つまり赤の他人にも愛を注ぐことができるようになる。

こんなふうに、心を満たす愛が他人を思いやる心をつくるらしい。

つまり、わたしは心が満たされているために家族や友人、赤の他人に対しても親身になって話を聞くことができる。

その一方で、いくら満たされたからといって、愛だけの力で自分自身を削ってまで優しくできるナイチンゲールのような献身さは身につかない。だからこんなふうに自分にとって不利益だと判断した場合、見て見ぬ振りもする。

いやあ、最低な人間だ。いやだなあ、こんな性格嫌だ。ただの愛想女になんてなりたくない。

でもね、わたしにはそういうところがある。やたら外面だけよくて、言い訳のプロ。お説教されたときの謝り方にも自信があるし、反省もするかどうかは自分で決める。愛に飢えて、どんな人にも好かれたくて、自分をコッテコテに着飾っていた頃があったのが影響しているのだろうか、ほんとうに醜い性格をしている。

わたしはこんな人間だよ、どう?人間味増したでしょ。

でも今回の件は、けっこう反省している。助ければよかったなあ、そしたら笠地蔵の物語みたいにあの受付嬢が大量の小判を持ってきたかもしれないなあ。惜しいことをした。

“受付嬢さん、ごめんなさい” への2件の返信

  1. 本当に自己中心的な人だったら、きっと罪悪感に苦しんだりしないよ。今だってほら、「見て見ぬふりをした」って正直だなって思う

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