言葉を着る

私が普段着たい服

 

成人パーティーのとき、人生で初めてドレスを着た。腰元でリボンがふりふりするワイン色のドレスだった。パーティーの間、わたしはストッキングのウエスト部分がずり下がっていくことやボレロがずれていくことにとてもイライラしていて、パーティーが終わった瞬間にトイレに走って元の服に着替えてしまった。写真撮影会の存在を忘れて。

ひとりだけ浮いた格好をした写真撮影会のあと、高校の担任の先生がわたしのところに来てこんなことを言った。

「ななこ君のそういう着飾らないところは人間として魅力的だ。ぼくの息子に嫁がないか?」

 

ところが残念ながら、自分はめちゃくちゃ着飾るタイプだ。服もお化粧も髪型もすべてがその人間の一部だとみなしているからね。見た目で判断しちゃいけないとか、そういうこともあるみたいだけどそういうのって難しくない?

服装や髪型、お化粧みたいな『見た目』は『言葉』に似ていると思う。どういう育ち方や思考をしてきたかで言葉の選び方は変化するものだろうから、わたしは語尾の読点までを見逃さないように気をつけている。その人にしか紡げない文章がそこには連ねられているからね。

ただのYシャツだとしても、例えばユニクロで買ったのはデザイン性より防寒性を優先した結果とか、フィットサイズのボトムを重視するあまりに無難な無地のYシャツにしてしまうとか、その『見た目』に行き着くまでの過程が現れていると思う。その深層まで汲み取ることはできないけれど、『言葉』と同じようにその人の意思で選ばれているのだから、けっこう人の『見た目』を観察するのは好きだ。

でね、わたしが普段着たい服は特にない。着たければなんだっていいさ、「選んだ」んだもん。

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