死にとても近い場所。

 

先日母親に、あなたを一人暮らしさせるべきではなかった。と嘆かれた。僕はそうかなあ?と母の発言に疑問をもちつつ、話を早く終わらせるために、どうにもならない答えをして早々とその場から去った。

母はろくに大学で勉強をせずに好き勝手生きていた僕のことを非難しているのだろう。けれど、僕は一人暮らしをして、ろくに大学にもいかずに生活をしたことで得られたことが数えきれないくらいある。

消費を過度に繰り返すことで、消費的な幸福には限界があると気がついた。
常に死を身近に感じて生活することができた。

前者は今になって考えると、あまりにも当たり前のことなのでわざわざ書く気にならない。後者は今の生活を顧みたときに、なんだか懐かしくなるし、あこがれを抱いてしまう。人は食わないと死ぬという事実をリアルに実感できたのは良かった。けれど、もっと物理的に、人はある速度のある質量の物体と衝突すると身体が致死的に破壊されるという意味合いで、一人暮らしをしていたアパートは死に近い場所だった。

原因は、僕がピストバイクを所持していたことと、アパートが急勾配でロングストレートな坂の下りきった場所に位置していたことに由来する。

ピストバイクはfixed gear bikeと言われるように、後輪のコグとペダルが固定された自転車だ。ペダルを前に回せば前進するし、後ろに回せば後進する。ペダルを止めれば後輪は止まる。なんとなくイメージはつくかな。前輪と後輪にブレーキをつけることは法律で決められている。しかし、SFのMASHというサイクルチームや、NYのメッセンジャーカルチャーに恐ろしいほど影響を受けていたので、ブレーキをつけたピストはピストに非ず。などと無理のある論理を持ち出して、車を殺す(先輩や友達はそう表現する)ように公道を爆走していた。

坂を下りはじめると自転車は加速し、40Km/hぐらいの速度に数秒で達する。長いロングストレートの坂を下りきる瞬間にはさらに速度は上がっている。アパートは坂を下りきった場所に位置していたので、速度が上がりきった自転車をブレーキを使わずに、ペダルにトルクかけて止める(そのことをスキッドと言う)しかないのだ。もし、スキッドのタイミングを誤ると、身体が前方に投げ出されるし、もし減速しきれずに坂を下りきると、そのまま交通量の多い県道に飛び出してしまう。どちらせよ、高確率で僕は致死的なダメージを受けることになる。そのスリルを、大学から帰るたびに味わうことができた。なんて楽しい生活なんだ。当時を思い出すとすっごく懐かしく思う。トップスピードでスキッドをして投げ飛ばされた瞬間のことや、折れたカーボンフォークや、腕にぐるぐる巻きにしたサランラップや、それを見て笑うバーの店主とあきれ顔の彼女。それが、僕の一人暮らしの象徴だ。

過去に執着をすることがほとんどない人間だが、当時のバイクに乗って、当時のフィジカルの僕が、当時の坂を下る瞬間には戻りたい。僕は正しいタイミングで、ペダルを止めることができるだろうか。できないだろうね笑。

今日も読んでくれてありがとう。ピストバイクについて熱く語るやつ、筋肉だらけの友達としたいなあ。

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