こんばんは。よしだじゅんやです。
今日は昼から酒を飲み、美術館に行き、また酒を飲むことを繰り返す非常にジャンクなひだった。手が震えるし、うまくキーを叩くこともできなくて、すぐに寝そうになっているが、目の前にさとりちゃんがダーリンを書いている。この美しい乙女を前にして僕は文章を書かざるを得なくなっているのだ。
今日はずいぶん多くの言葉を無駄にしたと思う。本当にこれは残酷な話で、僕の口から出た言葉や打ち込まれた文章は、身をむすぶことはなく、ただ散っていったように思う。それを思うと僕はずいぶん悲しい気持ちになっているのだ。
今日は僕の大好きなライターさんであるタカハシさんと飲み、その後さとりちゃんと飲んだ。幣メンバーのさとりちゃんは耳が聞こえない。僕たちは酒を飲みながら、筆談で会話をする。当然、僕が文章を書くのを待つ時間があり、彼が文章を読む時間があり、それに返答をする時間がある。「好きな食べものは?」という問いの答えを得るのに、口頭で話している人たちと比べて3倍は時間がかかる。それは良い一面もあれば、悪い一面もある。
2人が飲み終えて、二人で宿まで帰った。東京は雨が降っていて、彼女がさす傘に入って僕は歩いた。僕はなにか彼女に話をふろうとおもった。「今日はずいぶん寒いね」とか「眠くないか」といったたぐいのどこにもいかない質問だった。彼女が僕の唇の動きを読んで意味を解釈する。読唇術などと呼ばれるが、それはぼくたちにとってずいぶん曖昧な手段だ。誤認も生まれれば、さっぱりということだってある。その状況を前にした時に、僕は彼女に何を語り掛けるべきだろうと真剣に悩みこんでしまった。そして、結局僕は彼女に語り掛けることはできなかった。言葉は生まれず、会話を形作ることもなかった。
タカハシさんと飲んでいるときに、僕は多くの言葉を殺したと思う。不必要な発言をし、そこに芯のある返答が得られず、会話が終わるといったことだ。正しいか間違っているかで判断をすれば、僕は間違っていたと思う。誤解をまねかないように言うが、とても素晴らしい夜だった。それに対して僕は非常に無力だったような気がする。
生きた言葉を使いたい。意味があり、血が通った言葉だ。
今日も読んでくれてありがとう。僕は無力だ。お姉さまや乙女の優しがあるだけである。ずいぶん反省している。