でも、明るかった。本当に。

どうしたら授業を面白くできるんだろうね。私のつぶやきに妹は律儀に答えて言った。
「でもさ、先生が面白いと思って話してくれることなら、面白く聞けるはずだよ」
「そっか、そうかも」と、私はどうでもいい返事を返してしまう。頭では「その通りだなあ」と思っているけれど、あまり実感が湧いていない時の答え方だ。
実際私はそこまで思いつめて悩んでいるわけではなくて、どうしたら解決できるか方法を知りたいわけでもあるけれど、どんな答えも期待していなかった。ただの独り言だったのかもしれない。それよりかは、一緒にいる時間をやり過ごすための単なる話題の一つだった。真剣に相談したわけじゃなくて。

1週間後の今になってようやく、妹の言葉が私に届いてくる。
どうしたら授業を面白くできるだろう。やっぱり私は真剣に考えていたんだ。
「先生が面白いと思って話していることなら、面白く聞けるはずだよ」
ああ、そうだよなあ。きっとつまらないだろう、なんて思って文法を説明したらいけない。
ふと思い出したんだ。実習中、理科の授業を見学させてもらった時のことだった。今学んでいることが、実際に生きている自分の体に繋がっていて、さらに現在進行形で進められる研究にも繋がっている。それが先生の手から(つまり手話で)語られるのを見た時、なんだか感動しちゃったのだ。
そんな風に感動させる授業を、どうしたらできるかな。

授業中寝させてしまうのは、たぶん、私の話し方がつまらないから。
授業だけじゃない。話し相手を付き合わせてしまっているんじゃないかって、時々疑いを抱くことがある。
妹と話していた時、私の頭の片隅で気になっていたことはそれだった。本当は私と話したいわけではないのに、私がしゃべるから仕方なく相手になってくれているだけなんじゃないのかなって。
だって私と話していても、何が面白いんだろう?
一旦ネガティブな考えにとらわれると、そこから抜け出せない。

いつまで私はつまらない言葉を並べ立てるのだろう。
本当に伝えたいことを正しく言葉にするのは難しい。濁った水の中に目を凝らすみたいに、曇り空に月を探すみたいに。余計なものごとが感動を覆い隠す。気持ちを伝えるための言葉が、逆に、気持ちから心を遠ざける。
もっと心を開かないといけない。そんな気がする。

何を話していた時だったか、妹は声を立てて笑った。私はその笑い方がきれいだと思った。軽やかで親しみがあって、やわらかい、ふふふ。
その笑いが本物かどうかなんてわからない。でも、明るかった。本当に。
妹は変わった。面と向かっては言わないけど、私はそう思ってる。妹が世界に心を開こうとする時、あの子の周りではみんな光に照らされたような気持ちになる。私のネガティブな心までもが明るくなったみたい。あの子が明るく笑ってくれるから、おかげで私は少しだけお茶目になれるんだ。

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