ぼくのダーリンへのお便り。

ぼく宛に送られてきた。お便りです。ありがたい言葉がたくさん詰まってます。ここで共有しますね。

今日のダーリンを読むのが好きだ。いや、最初からめっちゃいいやん~!って思ってたけど、実は、なんとなく良いと思う、好きくらいの感じで毎日読んでました。
私がみんなの文章を読むのが好きなのは、私が取り組めない問題を解決してくれるような気がして、楽しみだと感じているんだなあって。

防衛機制って知ってますか。
あっ無理だわこれって思うこととか、嫌いだなしんどいな近づいてきて欲しくないなって思う時に、その感情を無意識という箱にしまう作業のことを、防衛機制っていいます。八つ当たりするとか、なんとなく理由をつけて仕方なかったと思うことや、他の人の真似をしてみること、見えなかったフリをすること、こういう行動は全部無意識的なものとして、防衛機制の中で分類分けされてそれぞれ名前がついてる。
あんまり良い印象が無いようなことばっかりの中で、ポジティブに捉えられているものものもあって、自分の中で抑圧しておきたかったり、現実社会でも認められなさそうな感情、思考、欲求とかを、絵とか音楽とか、いろいろな世の中にウケる形に置き換えて実現しようとする、っていう行動、これも実は昇華っていう立派な防衛機制らしい。
欲求と葛藤のバランスをとって、心の健康を保つために誰でも持っている大切な機能なんだけれど、言い換えれば自分を直視しないようにする動き、自分という意識を、無意識という場所に追いやる作業のことなんです。
この一時的なごまかしは誰にでも必要、ごまかしの状態をずっと続けるのって実は結構不健康。
だから、誰にでも、防衛機制が必要ない場所、時が必要になります。自分が悲しいと思う時に泣く、笑いたい時に笑う、自分の思いを無視するんじゃなくて、ここだったらいてもいいと思える、自分と向き合う場所や時間が大切で、だけどなかなか難しいらしいです、知らんけど。

むちゃくちゃにしんどいなってなったとき、いろんな対処法があると思うけど、私はいつも、自分のことを他人として扱うことで、今私は感情で言えば辛いというカテゴリーの感情を持ってて、具体策を挙げるとすればこれこれこういう逃げ方があるなあ、とかグルグル考える。単純に言えば、自分で自分の相談相手をすることで、目の前の辛いことから逃げまくっていると思う。結局解決してないけれど、こうすること自体が私にとっての防衛機制になってる、たぶん。

普段病院で他人には、自分と向き合うプロセスを大事にしようね、とか言っておきながら、自分はどうなんだって言われたら、全然自分とは向き合っていない。逃げを重ねまくってる。笑っちゃうよね。
「嘘ばっかりつく、僕に向き合ってくれない!」って彼は言うのだけど、実は向き合っていないのは私が私に対してであって、嘘をつくのはある線よりこっち側に入ってこられると困るからなんです。その結果たぶん、誠実じゃないと感じられたり、裏切られたって思われたりしてると思う。自分で言っといてあれだけど、私めちゃめちゃ自分勝手してるよね。めちゃくちゃにしんどくて突き放したりするけど、私がウソつきなことに対して、超しつこくなんでなんでなんでって言ってくるの、ちょっと貴重かもしれんって思う、まじでしんどすぎてほとんど突き放しちゃうけど。

それでね、ダーリンは、みんながものすごく優しい形で自分と向き合うっていうことを実現していて、本当にすごいと思う。私がウソでごまかして、にこにこ生きようとしてしまうところを、丁寧に素直に、はっきり紡いでるなあって感じてて、なんだか生き方のヒントを得られる気がしています。それで、毎日すごく楽しみに思うし、好きなんだと思う。自分のこともちゃんと見ることができん人間なので、みんなの書いている文章に対して、素敵だなあってひたすらに思うことくらいしかできないんだけど、めちゃくちゃ励みになっています、ほんとに。

今日も言いたいこと全然まとまってないんだけど、時間もなくなってきたしなんとなく言いたいことは言えた気がするので終わりにするね。いつもありがとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。