カッコいい人を見た時に考えること

「カッコいい」は特別な感じがする。「かわいい」や「美しい」が運とか才能に左右されるとしても、カッコいい生き方を目指すのは誰にでもできるはずだ。

めちゃくちゃカッコいい人を見かけた。駅で。
初め、前を行く男の人が手に持っている丸いものが気になったんだ。なんだろう。
ヘルメットだ。バイクに乗る人かもしれない。半袖シャツからのぞく腕が日焼けしていた。
余裕のある歩き方とか、エスカレーターに乗る立ち姿とか、そういうところから滲み出ているカッコよさ。すごく素敵なんだけど、何がカッコいいのかうまく言えない。

誰かに似ている?
いいや。
どんな顔なのか良く見てない。
どんな服を着ていたのかも覚えていない。
なにがカッコいいんだろうな。そもそも後ろから見ただけでなぜカッコいいとわかるのか。
これは難しい問題だ。

バイクに乗る人だとわかった時、私の頭の中には昔バイトをしていたコンビニのピンチヒッターさんが思い浮かんだ。シフトに穴が空いて困ると、別の店で働いているその人がバイクで駆けつけてきてくれた。
雨の日も台風の日も寒い日も、バイクに乗ってくる人だった。休憩室にごついヘルメットを持ってくるからわかる。ヘルメットは、バイクと一緒に外に放っておいたらいけないんだとその時知った。
でも、駅で見かけた人とは似ていない。
別に私はバイクをカッコいいと思っているわけではない。

その晩、タイタニックを見た。美男美女だね。夕日に唾吐く姿まで、文句のつけようがなく完璧だ。
彼らがそこいらの駅で歩いているところなんか想像できない。確かに、1世紀前の外国の豪華客船と2023年の日本の地下鉄駅では別世界と言ってもいい。けれど時代の差以上にどこか非現実的なのだ。
映画は観客に見られるために作られたニセモノに過ぎない。その不自然さが、映画は現実ではないと知らしめる。

あらゆる「カッコよさ」が作り物でないなんて一体誰に言えるだろう?
見かけに騙されたくないから、私はみんなが「カッコいい」というものを信じない。こういうものが「カッコいい」と言われるのだなとはわかるけど、だからといって無条件に賛同することはできない。
それだけに駅で見かけたあの姿が不思議に思えてくる。
なんだろう。あのカッコよさは?

自由な感じがした。うまく力が抜けている。誰のためでもない、自分だけのカッコよさを持っている人なのだと思う。

本当はその人について何も知らないけど、素敵なのは本当だ。
私に真似できるものではない。たとえ私がバイクに乗って歩き方から何まで真似しても、絶対手に入らないカッコよさだ。あのカッコよさはどこから来ているんだろう。考え続けたらいつかわかるようになるかなあ。
別の種類のカッコよさでいいから、私は私でそうありたい。

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