まず蜘蛛の巣を取り除かなければならない。トタン屋根の下、細い銀の糸を見逃さないように薄暗がりに目を凝らす。
かつては毎日通勤で乗っていた自転車は、今や2週間に一度、図書館を往復するのみ。ちょっと乗らない間に蜘蛛は巣を張る。絵に描いてやりたくなるほどに立派なやつを。
走りだせば気分はいい。暑さからも日常のわずらわしさからも自由になれる気がする。
川沿いの道を走り抜ける。背中に浮かぶ汗を風が乾かしていく。
眩しい日差しが公園の木立の上に降り注ぐ。白い柵は生い茂った草に埋もれてほとんど見えない。蝉がどこかで鳴いているような気がする。
夏っていいな。秋だって冬だって春だって、雨でない限り自転車に乗って行く。夏には夏ならではの景色がある。その時その時の景色はあっという間に流れ去る。たとえ一人残らず今がいつなのか忘れてしまっても、季節は正確に巡り続けるのだろう。
家に帰るとシャワーを浴びてクーラーをつけてごくごく水を飲み干す。その頃にはもう夏なんてうんざりだという気持ちになっている。勝手なものだよね。
暑くてぐったりだ。
ただただ過ぎるのを待ち焦がれる。夏にはそういう側面もある。
変わり映えない日々。何もかも同じことの繰り返しのような。借りた本を読み、読み終わったら次の本を読む。本を読んでいない時、頭の中にあるのは夕食の献立。実家から送られてきた大量の夏野菜を、さあどう料理したものかと思案する。毎日ベランダの植木に水をやることだけは欠かさない。あーあ、また2週間もすれば蜘蛛は立派な巣を張っているだろう。そしたらまた私は箒を持って蜘蛛の巣を払って。
ある日、意を決して制服のズボンの裏地を切り取った。冬からずっと変わらず裏地ありのズボンを履き続けて、そろそろ暑さに耐えられなくなってきていた。裏地のない夏服を新しく導入する予定だそうだけど、そんなの待っていられるか。
裁縫箱からハサミを取り出してチョキチョキ切り始めたら簡単だった。最初からこうすれば良かったんだ。
見た目には変化はないけれど、裏地を切り取ってから足回りが幾分か涼しくなった。頭とハサミは使いよう。
昨日より今日、マシな自分になれるのか。劇的な変化も目の覚めるようなアイディアも、ありきたりな日常の中には望めないのか。
さあ。どんな毎日も「ある日」から始まる物語になりうる。どんなものでも描けば絵になるようにね。
今日だって、明日だって、描く前の絵のようなものだ。見ている景色の中から何がしか取り上げるから描き始めることができる。
つまり、大切なのは探し続けることだ。何かわからなくても、何か探せ。
You never know what hand you’re gonna get dealt next. You learn to take life as it comes at you to make each day count.「次にどんな手札が来るかわからない。与えられた人生が来るだけ。だから1日1日を大切にしたい」
乗り越えた夏の数だけ、どうか着実に前に進めていたらいいなと思う。