さよならレモン

寝ながらお散歩って、なんて贅沢なんだ。

「朝、散歩に行ってね、もうカートに乗せても踏ん張れないから寝たままで。目は閉じてたけど、カートの上で空が晴れていて気持ちよさそうな顔をしていたよ。散歩から帰ってきてご飯の支度をしていて、なんとなく気になって和室に見に行った。そしたらすごく吠えてた。キュンキュン、ワンワンって。いつもと様子が違う感じで。吠えている途中で、急に弛緩して、花が開くように口が開いたから、もう虹の橋を渡ってしまったとわかったよ」

よかったね、レモン。最後にお散歩に行けて。

6月1日、午前11:30、レモン永眠。

私が母からそのことを聞いたのは、その2週間後の金曜日、仕事から帰った後だった。
「家に帰ったら教えてね」とバスを待っている時にLINEがあって、私は「あ、レモンが死んじゃったんだな」と直感した。
亡くなったのは旅行前だったから、私が戻ってくるまで伝えるのを待ってくれたようだ。
母は私がバスの中で泣いたりしないようにと配慮してくれたのだと思う。結局それは無駄になってしまった。バスの中でもう泣けてきてしまったから。

そういえば今、6月だった。どういうわけかうちでは命日が重なる季節。
ひいばーちゃんも、父方の祖父も、以前祖母が飼っていたビーグルのジョンも、みんな5月の終わりから6月にかけてに亡くなっている。

お土産を渡しにいくんだ。レモンに会うためじゃない。
翌日、実家に行くのに自分に言い聞かせても悲しくなった。
今までたくさん会いに行っていたはずなのに。いつお別れが来ても受け入れるつもりでいたのに。それでもやっぱり悲しいんだ。もうレモンに会えないんだな。

妹の車が見えた。庭に姿が見えた。ちょうど妹も着いたところみたいだ。
「ねむちゃん」
エネルギーの塊みたいな、長くて黒い犬に私は呼びかける。
「ねむちゃん」
ねむちゃんが飛びついてきた。リードが絡まってもお構いなし。手を伸ばすとよじ登ってくる。尻尾がゆさゆさ揺れている。おお、嬉しいか。私も嬉しい。だけど、爪が痛い。
去年、妹は犬を飼い始めた。ねむちゃんは1歳になったばかりだ。5月27日が誕生日。その翌日、28日にレモンは18歳になった。

ねむちゃんは、亡くなる少し前にレモンに会ったことがある。残念ながら私はその場にいなかったのだけど、奇跡的な邂逅の瞬間を妹は動画に撮っていて見せてくれた。
レモンはほとんど眠っていたけれど、ねむちゃんはきちんと鼻をくっつけて挨拶し、それからぴょんとレモンを(正確にはその脇を)跳び越えていった。
ほんの5秒足らずのその動画に、私は思わず笑ってしまった。ねむちゃんはきっと妹に似たんだな。ひいばーちゃんが亡くなってお葬式の時のこと、当時1歳になるかならないかくらいの妹が、あろうことかご遺体を跨いでいったというエピソードがある。それを思い出した。

「ぜんくん、レモンがいなくなってずっと元気がなかった」と母が言っていたけど、ねむちゃんに会って元気をもらえたと思う。
ねむちゃんは変な声で鳴く。
「くわっくわっくわっくわっ」
それが可愛くてみんな笑った。
ねむちゃんは嬉しそうに走り回る。ピンクの舌を出してはあはあいってる。とにかくじっとしていられない様子で、前足で座椅子をバリバリ引っ掻き始めた。
レモンも同じことしてたな。ここ数年はすっかりおばあちゃんになったレモンも、若い頃は元気いっぱいだった。ぬいぐるみを見せたら喜び勇んで振り回し、わたの山を作ったものだった。

妹にはねむちゃんがいて、母にはぜんくんがいる。私も自分のパートナーを見つけた。結婚の挨拶に来た時、レモンは私の足元でぐうぐう寝ていたのだけれど、でもちゃんとわかっていたんだよね?
きっとレモンは、「もう自分がいなくなっても大丈夫だ」と安心できたから旅立ったんだろうな。

レモンはいい子だね。
ありがとう。こんなに長生きしてくれて。

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