百田尚樹『永遠の0』

生きている人間の内には、別の命の影を住まわせることができるのだろうな。

物語は、おじいちゃんは特攻隊として死んだと聞かされた姉と弟が、祖父を知る人々を訪ね、話を聞くという構成をとっている。戦争の時代を生きた一人ひとりの口から語られる「特攻隊」、そして「本当の祖父」について、読み進めるほど考えさせられる。
特攻隊とは一体何なのだ?

子供の頃、毎年夏になると戦争ドキュメンタリーがテレビで流れていたのを覚えている。うちの父は戦争ものが好きなのか、わざわざDVDを借りてきて見ていた。私はできれば目を逸らしていたかったのだけれど。覚えているのは、『硫黄島からの手紙』。ほとんど目を瞑っていたはずなのに悲しくてしょうがなかった。まるで、テレビ画面を通して我が家の居間に戦争の空気が伝わってくるみたいだった。十数年前に実際に起きたことだから、自分の身にもいつか起こるかもしれない。戦争が怖かった。

可哀想だなと思う。爆弾を抱えた飛行機に乗って敵の軍艦に体当たりする、「カミカゼ」と呼ばれた特攻隊。
どうして彼らが死ななくてはいけなかったのだろう。『永遠の0』を読んで本当にそう思う。歴史にもしもはないとは言え、「こうしていれば」と思うような状況が何度かあって、その度に日本軍は敗戦に向かう選択をしている。
戦争とはそういうものなのかもしれない。「こうしていれば良かったのに」と言えるのは今だからこそであって、渦中にいては正しい選択などできるものか。戦時でなくとも、現在進行形の政治においてさえ、何が正しくて間違っているのかなんてわからない。もっと後の時代にはまた違った答えが出されるのだろうから。
だとしても、「どうして」という気持ちが拭えない。どうして命を捨てろと命令できたのか。あるいは自ら特攻に志願したのか。私には納得いかない。そんなの絶対間違ってる。
信じられないようなことが本当にあった。戦争とは恐ろしいものだなと思う。

「特攻は十死零生の作戦です。アメリカのB29爆撃機搭乗員たちも多くの戦死者を出しましたが、彼らには生きて帰れる可能性がありました。だからこそ勇敢に戦ったのです。必ず死ぬ作戦は作戦ではありません。これは戦後ある人に聞いた話ですが、五航艦の司令長官であり、全機特攻を唱えた宇垣纏長官が特攻出撃を前にした隊員たち一人一人手を取って涙を流しながら激励した後、『何か質問はないか』と聞いたそうです。その時、ミッドウェーから戦っていたベテラン搭乗員が『敵艦に爆弾を命中させたら、戻ってきてもいいでしょうか』と尋ねたそうです。すると宇垣長官は『ならん』と言い放ったそうです」

もし自分が特攻に行く立場だったらと想像する。なぜ自分は生きているのだろうかと、ただぼんやり生きている。なのに人から「死ね」と言われたら、全力で抗わずにはいられない。意味もわからず生きているくせに、無意味に死ぬのは嫌なのだ。
帰ってきたらいけないの?驚きを通り越して腹が立った。
宇垣長官は、決死の覚悟で向かわねば勝てないと言いたかったのか。ならばまず一番に自分が行くべきだ。人に命じてやらせることではない。

零戦は高性能で素晴らしい戦闘機だったかもしれない。けれども操縦する人間のことは、全く考えられていなかった。搭乗員は7時間も8時間もぶっ通しで操縦し続けることを要求された。ただ距離を飛べばいいのではない。常に敵を警戒し、どちらかが見つけたら戦闘になる。少しでも集中力を切らせば命取りになる。
やってられないよ。人間を何だと思っているんだ。疲れを知らないロボットのように戦わせ、消耗品として使い捨てる。
多大な犠牲を払って戦争して、日本は一体何を守りたかったのだろう。何より大切なはずの一人一人の命が失われていく。こんなに悲しいことはないよ。

日本は負けた。
特攻隊の死は無意味だったのか?
犬死にだったのか?

特攻に行って亡くなったおじいちゃん、宮部さんは命の重みを知っている人だった。語り手の話を聞くにつれ、凄腕のパイロットだったこと、人から「臆病者」と言われようと命を大切にする戦い方をしていたのだろうということがわかってくる。
命はたった一つきりだ。猫のように9つの命があるのならいざ知らず、人はいくつ敵機を撃墜したところで一度でも撃たれたら終わりなのだ。何よりも自分の命を大事に守らなければいけない。生きて帰れる可能性が少しでもあるのなら、絶対に諦めてはいけない。
宮部さんが特攻するとなったら、「敵艦に爆弾を命中させて戻ってくる」手立てをきっと見つけるのではないか。彼には生きる理由があった。生きて家族の元に帰るという、強い意志を持っていた。十死零生の中に0.1でもわずかな「生」をつかみ取れるのではないか。初め私はそう思った。
それなのにどうして彼は、最後の最後でチャンスを手放してしまったのだろう。それはやっぱり、命の重みがわかる人だったからなんだろうな。
宮部さんの死が無意味だったとは思わない。だって何人もの人が語っている。その生き様は生きている人の心に残されている。宮部さんのおかげで救われた人がいる。
特攻隊として死んでしまったけれど、それでも愛する妻と子供の前に戻ってきた。必ず帰ってくると約束していたから。
バスの中で読みながら、涙を堪えるのが大変だった。

最後の語り手は特攻機からの信号を受信していた元通信員の方だった。敵機発見から撃墜までのモールス信号を聞き取ることが彼の役目だった。特攻隊員が生きた瞬間の最後の音に耳を澄ませる。「ト、ト、ト」「ツー」の間隔から、爆撃が失敗したか成功したかを読み取るのだ。
どんなふうに飛んで、どんなふうに戦って、どんな思いで死んでいったか。
たった2種類だけの信号で到底伝え切れるものではないけれど、それを受け取る人は一音も聞き漏らさないように耳を澄ませたことだろう。
私が今生きているのと同じように、その時彼らは確かに生きていた。永遠の0。いくら求めても決して活路の見いだせない、十死零生を死んでいった人たちがいた。

生きるってどういうことなんだろう、と私は考えている。特攻隊でなくとも必ず死ぬことに変わりはない。生きて、死ぬ。その命には何の意味があるのか。
他者の命を自分のこの目に映すこと、精一杯耳を傾けることは、生きる意味の一つなのだと思う。
私にも大切な家族がいる。
毎日一緒に暮らしているとそれが当たり前で、空気のような存在になっているけれど、そこにいるのはたった一つだけの命だ。その尊さを忘れたらいけない。

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