11/16、12/9、1/27、4/26、5/20、5/26、6/3、7/7
待ち遠しい日があった。
まだ先のことさ、と予定を立てている間は遥か遠くに感じられたのに、一日一日、着実に近づいてくる。ああ、やっと今日だと思ったら、夜空にはじける花火のように、一瞬だけひかる流れ星のように、とどめおく術もなく過ぎ去っていく。
そしてまた次の日付を胸の内に秘め、一日一日を重ねていく。前に進んでいく。その繰り返しだ。
一体私はどこへ向かっているのだろう。
ふと振り返って言いようのない寂しさに襲われるのだ。加速度的に離れていくのを止められない。
あの日が遠くなるよ。
大切な瞬間はまるで言葉のようだ。日々さまざまな場所で、さまざまな語り手・媒体から言葉を受け取っている。幾多の情報の中に、自分にとって最も大事なメッセージが紛れ込む。それは、出会いたいと探しても見つからず、ぱらりとページをめくった時なんかに思いがけない形で目に飛び込んでくる。
本当は、私が見落としているだけで、見えない小さな星のようにいつでもそこに佇んでいるものなのかもしれない。何も期待しなかった日々にこそ、この上なく貴重な時間が流れていたと知る。
例えば、銀行の人がくれたティッシュのボックスに黄色い犬の絵が描かれていた。レモンに似ているなと思って、しげしげと眺め入ってしまった。小学生っぽい、と思ったのは自分も子供の頃、似たような絵を描いていたからだ。上手い、とは言えないけど子供らしい絵。
あの時のレモンは若々しくて元気いっぱいで、家中を走り回っていて…。
ふっと昔の記憶が蘇る。
ティッシュの箱をひっくり返す。「大府特別支援学校」
その特支学校のことを私は聞いたことがあった。病院に入院している子が通う(という言い方が適切かどうかはわからない)、病弱の特支学校。病棟がとにかく広くて毎日1万歩くらい歩く。と、そこで働いていた先生が言っていた。「少し仲良くなれたかなと思ったら、2、3ヶ月くらいでお別れしてしまうんだよ。退院していくから」
絵を描いた子の名前も書いてあった。この子たちはどんな風に日々を過ごしているのだろう。
病院っぽい景色をなんとなく想像する。窓辺にはカーテンがかかっていて、そこから外が見えそうで見えない。スイッチを入れると白いベッドが起き上がる。目の前にはテーブル。黄色のクレヨンに手を伸ばす。
いいな、と思った。この子の心の中には、レモンと似た姿をした犬がいて、それはとても素敵なことに思えた。
今私は、なにか祈りたいような気分だ。手を伸ばしても届かない空に向かって。祈りならば届くのではないかって、そんな気がする。
明かりを消した静かな部屋で地球儀を聴く。カーテンの隙間から光が漏れていて、車の音や救急車のサイレンがわずかに聞こえる。真っ暗というわけでもないし、全くの無音でもない。
「また出会う 夢をみる いつの日も」
何を祈ればいいのだろう。言いようのない悲しさが空へと向かう。でも伝えたいのはそういうことではなくて、違うのに。
悲しみに染まることなくこの思いを伝えるために、私は自分の「祈り」を見つける必要があった。
きっとまた会えると思うんだ。だってこんなに大好きだからね。
また会いたいと願って進んでいけば、その道はきっとレモンにつながると信じている。
いくつもの予定が過ぎ去っていく中で、この日付を特別に記憶に留めておこう。
5/28、6/1
毎年やってくるこの日に祈ることをしたい。それは多分、日付の定まらない予定を心の中に書き入れることなのだと思う。
地球はぐるっと一回りして1年前と同じ位置に戻ってくる。また同じ季節が巡ってくる。時間が経つのは、離れていくことではない。年々繰り返すたびにその分、再会に近づいていく。