迷える羊

初めて聞いた瞬間から、とても惹きつけられる音楽だった。
荒野を吹き渡る風のイメージをもった。
どこから来てどこへ行くのか。
あてどもなくさすらう魂。

YouTubeを流したままうとうとしていたら、ハッと目が覚めた。初めて聞くのにどこか懐かしい曲。
米津玄師の「迷える羊」だった。

音楽はメッセージだと思う。
今まで見向きもしなかったのに、突然耳が引き寄せられるような時がある。出会ったのは偶然だけど、今の私はこの音楽を必要としている。今の私だから受け取れるメッセージがあるのだと思う。

私たちはただ流されるままに生きていればいいのではない。何かわからないけど自ら役を演じるためにそこにいる。
「この世は全て一つの舞台」という言葉を残したのはシェイクスピアだったか。生きている以上、人はみんな何か役割があるはずだ。
生まれた日の私なら、自分の使命とか生きる意味とかを覚えていたかもしれない。それももう忘れてしまった。
どうしていいかわからない時、監督が指示を出してくれるわけでもない。サンタマリアの出番もない。迷っている私を誰も救ってくれはしないし、迷っている間も時は止まることなく流れつづける。
一回きりの人生を、やり直しがきかない日々を、どうやって生きていけばいいのだろうと、ただ生き続けている。

迷える羊にとって、この歌は希望だ。

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」

今を生きている迷いも苦しみも何もかも、永遠に続くわけではない。千年先に思いを馳せれば自分の人生なんて瞬きする間に終わってしまう。
千年後には生きていないことを知っているのに、それでも言うんだ。「いつの日も愛しているよ」と。
「ずっと大好きだ」と思うその時の気持ちは真実だ。

列なすように演劇は続く

私がこの世から去った後も、途切れることなく時代は続いていく。

私はこう思うんだ。
誰かを愛する気持ちはずっと消えずに続いていくのだと。
「情けは人のためならず」という言葉は、他人に思いやりをもって接したら巡り巡って自分に返ってくるという意味だけれど、思いやりとか愛情を受け取った人は次の人にそれを伝えていく。最初の人がいなくなって戻る場所を失っても、誰かを大切に思う気持ちはまた別の人へ伝わって残り続けると思うんだ。
だから人は、ただ生きて死んでいくだけではない。もらったものをまた次の人へ伝えていく役割がある。

そうだ、私にできるのは、未来に向かって祈ることだ。
今私が生きている間に果たされなくても、叶えられなくても、未来に希望がありさえすればいい。そしたらこの迷いとか、寂しさにも意味があると思えるから。千年後を目指して一日一日を送っていけばいいんだ。

どんな未来を望むのか?今の私ができることは何か?
その答えが私の役割なのかもしれない

今日もまた、荒野を旅する風の音に耳を傾ける。
音楽って不思議だ。何度も繰り返し聞くうちに生き物のように少しずつ変化しているように思えるけれど、変わっているのは私の方なのかもしれない。
この受け取り方で合っているのかはわからないけど、迷える羊が私に前向きな影響を与えてくれたことは確かだ。

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