音楽を、聞くことはできる。
けれども私の耳を通り抜けるだけで、何も残らない。
私が音楽を聴く時、
音楽の意味に、耳をすませる。
聞こえるそばから消えていく音。意味を思い浮かべることで少しでも記憶にとどめようとする。
もし音楽がただの音だけだったとしたら、私はそのどの部分も捕まえることはできないと思う。
発音記号で書いたって、
楽譜に書いたって、
音がなければ意味がない?
たぶんそうかも。
音楽とはそういうものだという気がする。
私の知ってる音楽は多くはない。つまり聞いて、それだとわかるのは本当に少しだけ。
そして、なぜかロシア語の歌ばっかり覚えている。賛美歌ばっかりじゃないよ。ジャンルは問わない。
オ ブラゴダーチ。
カタカナにするととても奇妙な響きだけど、日本語に訳すと「ありがとう、感謝します」という感じかな。
О, благодать!
いかにして、オ ブラゴダーチ を好きになったのか。
初めて聞いたのは、ロシアの教会で。ロシアに留学して半年くらい経った頃。
友達が教会においでと誘ってくれた。
教会では牧師さんの説教を聞き、歌を歌った。歌詞付きの楽譜が配られて、私はそれを見ながら耳を傾けた。
初めて聞く、といったのは、半分はうそだ。
私のこの歌知ってる!!どこかで聞いたことある…。
ロシア語の聞き取りはさっぱりできないけど、メロディだけはわかったんだ。
教会で聞いたときすぐには気付かなかったけど、寮に帰ってやっと思い出した。
Amazing grace だ。
中3の受験生の頃だっただろうか、
といていた国語の過去問に、Amazing grace の出てくるお話があった。
その時はまだその曲を知らなかった。どんな音楽なんだろうって想像した。
「アメイジング・グレイス」というカタカナの音から、グレーと薄紫の色を連想する。英語の意味さえ知らなかった頃だ。
それはきっと、鳩みたいな優しい音楽だという気がした。
実際にAmazing grace を聞いたのは、大学生になってからだった。友達が英語で歌うのを練習していて、楽譜を見ながら私は英語の歌詞を追った。
予想に違わず綺麗なメロディ。やっとどんな音楽か知れたというのは嬉しかったけど、同時にいくらか残念でもあった。
グレーと薄紫の優しい音色は想像の中では、どんな音にもならなかった。 今は、Amazing grace を聞いても、グレーと薄紫を思い出すことはない。
音に色なんかない。
でもこの音楽を好きになった。ロシアの教会で再び出会った時、私の心に懐かしさを呼び起こすには十分だった。
ロシア語で歌えるようになりたい!と思った。英語の歌詞さえ覚えていないくせに。
なんども聞いて歌詞を見て、今では頭の中に歌を再現できるようになった。
正確に言うのなら、それは想像の О, благодать 。
それが、私にとって「聴く」ということなんだ。
ともすれば、にじんでぼやけて何もなかったようになってしまう、音の姿を、
思い描いては思い描いて、なんとか留めおこうとすること。
音楽にしても
人の声にしても、
私の耳に本当の音は聞こえていない。聞き取れた断片や楽譜や発音記号から、音楽と言葉を想像するしかできない。
もし聞こえていたら、って時々思う。
音楽は…?
人の声は…?
ロシア語は…?
最初から好きにならなければ、聞くことをあきらめられたかもしれない。
でも聴いていたいんだ、好きだから。
わたしはナポリ民謡『サンタルチア』が結構好きです。音がきれいだよね民謡や賛美歌は。
『サンタルチア』聞いてみたよ、
心が穏やかになる音楽。