人間は死ぬまで未熟だね

高校時代の苦い思い出をここで処理して、明日は整った気持ちで同窓会に行きたいと思う。ダーリン、今回も頼むよ。

高校生のわたしは世渡りが下手くそだった。それは高校生になるまで、ずっと同級生も友達もろくにいない環境で育ったからかもしれないし、傲慢で自分勝手な性格をしていたからかもしれない。今も直っていないかもしれないけど、少なくとも今よりは子供だった。

それでも、寮生活で休日も含めたほとんど毎日顔を突き合せた彼女とは、どこか”親友”のような雰囲気があった。彼女は数学と絵を描くことが好きで、部屋をのぞくと数式をひたすら解いているか、絵の具を混ぜていた。その横顔は特別に美しかったとか、そういうのじゃないけど印象に残っているようで、彼女の顔を思い出そうとすると未だにその横顔が浮かぶ。

それともうひとつ、彼女の忘れられない顔がある。

「ななこの気持ちがわからないよ!」と顔を真っ赤にしながら泣いている彼女だ。彼女とのケンカは高校3年生の秋の終わりだった。

 

彼女は、寮の共同スペースでもう一人の同級生とわたしに言った。

「私、〇〇って大学に推薦で行こうと思う」

わたしはけっこう面食らった。きっと彼女は自分の可能性を信じて挑戦するタイプだと思っていたからだ。けっこう負けず嫌いで、わたしとテストの点数を激しく競ったりしていたので、てっきりそう思っていた。

「へえ」

うっかり”親友”らしかぬ興味のなさそうな反応をしてしまった。

「あ、ううん!いい大学だよね〇〇も。似合ってると思うよ」

なぜか焦ってしまったわたしは、そんなに深く考えず、そんなことを言った気がする。

それから2日間、彼女に口をきいてもらえなかった。

わたしが朝の挨拶をしようと彼女の顔を見ると、あからさまにそっぽを向かれるし、食堂で隣を空けて先に座っていると、遠い席に座ってしまうし。そんなことをされるのは初めてだったので、泣きそうになっていた。もうひとりの同級生に「わたし、何かした?」と相談すると険しい顔つきで「私に聞かないで」と言われるし。

自分が何をしでかしたのかを聞くのがなんだか怖くて、2日間も問題を放置してしまった。

 

数学の問題を無我夢中で解いている彼女に恐る恐る近づいてわたしは言った。

「わたし何かしたかな?そしたら謝る」

彼女の目線は相変わらずペン先を追っていたので、わたしはベッドの上でじっと待つことにした。

「仲直りしたい?」

急に声をかけられた。反応に困っていると、立て続けて彼女は言った。

「もうわからないよ」

その目からは一気に大量の水が出てきて、わたしは驚きのあまりにちょっと笑ってしまった。

「ななこがわからない、わからないよ!」

彼女はわたしの胸を軽く叩きながら、しばらく泣き叫んだ。

しばらくすると、彼女はぽつりぽつりと気持ちを話してくれた。夏ごろ「〇〇大学って正直にいってどう思う?」とわたしに聞くといい反応が返ってこなかったこと、それでわたしに進路を決めたことを話せなかったこと、いざ話してみたら「いい大学じゃん」と思ってもないことを言われたこと、すべてを洗いざらい話してくれた。

 

わたしは思った。

確かに、ちょっと彼女らしくないなあと思ってしまった事実はある。心の底から彼女が行きたいと思うのであればいいと思ったけど、そのときは彼女にその気持ちがないように見えたから反対するようなことを言ってしまった。それで、彼女の気持ちに揺らぎを生んでしまったこと。それは本当に反省すべきところだし、自分が持つ彼女への影響力を自覚するべきだったと思った。

でも、その一方でこんな疑問もあった。「いい大学じゃん」と言ったのはべつに嘘じゃないこと、似合ってるよというのもまったく思っていないわけじゃなかったこと。

人間は白黒をつけたり、不安定な何かがあるとそれに名前をつけたり、カテゴライズをして仕分けしたり、そういうことを繰り返して安心感を得ようとするものだ。それは彼女もそうで、わたしの本音が反対なのか賛成なのかはっきりしてほしかったのだ。

それは実はとっても難しいことで、実際にわたしは2年半彼女を身近で見てきて築いた彼女への認識から〇〇大学を反対したけれど、それは自分のことでもないし、もし彼女がその道を選ぶのであれば心の底から応援ができる。「え、〇〇大?それはちょっと・・・」なんて曇りをもつことはまったくなかった。

だから、彼女に進路を聞いたとき、とっさに口から出た軽い言葉は実際に軽い言葉だったけど、嘘ではないのだ。あ、もう決めたんだなって手のひらを裏返した。

それは人によっては嘘に見えるし、わたしを八方美人な最低人間だと評価する人もいるだろう。でも、人の気持ちはそんなに単純じゃないのだ。

 

とはいっても、高校生のわたしはそんな考えに到達しきれなくて、あやふやにしてしまったことで彼女を”親友だった”ともはっきりいうことができない状況になっている。それはきっと彼女もわたしも子供だったからだろうし、今でも理解されるかどうかがわからない。もしかしたら、わたしのこの考えは自分への甘えかもしれない。

ただ、彼女との軋轢は明日で笑い話に変えたいと思うのだ。明日、彼女に4年ぶりに会う。すごく緊張しているし、とても楽しみだ。あの横顔は変わっていないだろうか、あの意地っ張りな可愛い性格はどう進化したのか、とにかく楽しみでたまらない。

「あのときは未熟だったんだ、ごめんね。いまでも未熟だけど、ちょっとマシになったと思うよ笑」って言おう。そうしよう。

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