意義のない一日を送る日が大事なのだ。仕事に対して休日が欲しい。というわけではない。仕事は仕事で気合を入れたいし、休日も精一杯に遊びたい。僕が言いたいのは、仕事も遊びもなんもしない、がんばらない日が欲しいのだ。
twitterでとっても素敵な呟きが流れてきた。
「はーい、もうママ閉店でーす」
妻が時々言う。
発動したら何もしない。
テレビ見たり(普段はほぼ見ない)、スマホいじったり。こどもたちにママとすら呼ばせない
あだ名で呼ばせる
「ママじゃないでーす」
「◯◯ちゃんで〜す」と。世のママも閉店したらいい
急遽閉店するのがいい— てるりん@3児の子育て (@nurseterurin) August 25, 2018
そうだ、僕たちは、何にも属さない状態が欲しいのだ。閉店ガラガラ、もうなにもしませんよーということだろう。
と、書いていて、昨年の就活の時期の生活を思い出してしまった。あの時の僕はとにかく暇をしていたなあ笑。4月、研究室の教授に「僕は就活が終わるまで研究室には参加しません」と言い放って、その後11月まで一度も研究室に行かなかった。もちろん、その間まったく勉強をしていない。勉強するくらいなら、就活に専念がしたい!と意気込んで大学から遠ざかったのだ。
けどね、ものすごく憂鬱な生活だったよ。決まった曜日の決まった時間に支度をすることがなくなったから、昼頃まで惰眠を繰り返し、夜になると「なんて無駄な日を過ごしちゃったんだ!」と不安に駆られてなんとか取り返そうとした。その時とる行動が、「サウナに行く」か「バーに飲みに行く」だったな笑。なんだか今日も充実していたな!と錯覚するんだよ。ひどいだろう。
人は社会の中で、様々な属性値を持っている。しかしその反動で、「誰かからの自分」ではない自分自身に立ち返りたくなる。この時間を作ることは生活においてとっても大事だと思うんだ。疲れたら、閉店ガラガラしましょう。けれど、めんどうなことに、何にも属さない時間があまりにも長いと、自分の存在自体が不明瞭になっていくんだよなあ。あれはあれでとっても辛いのだ。
結論を申し上げますと、社会との接点と自分に立ち戻る勇気の両方を持ち合わせることが健やかに生きることじゃないかと考えています。
今日も読んでくれてありがとう。週休2日、自分の時間1日がちょうどいいですよ。まじで。