Re:Re:生きるために、書く

 

はじめまして、ななこです。
自己紹介しろっていうから自己紹介をしにきました。
でも綾部くんとか吉田くんとかとりあえず顔写真だして意義のない話しますって感じの文章だからわたしもそうするね。

 

なにをはなそうかな、吉田くんに「エモ寄りのエモで」と言われているのでエモい話をしよう。
わたしは小学生の頃から高校生にかけて、5人と文通をした。
はじまりは小学生5年生のときだったかな、市内の小学校5年生のんちゃんが学年を代表して「耳がきこえない人ってどうやって生きてるの?」というお手紙をよこしたことだった。

ずいぶん哲学的な話だなあ、と今となっては思うけど、当時のわたしなんて鼻くそは何からできているんだろうという疑問さえも浮かばない小さい人間だったから、怒りをおぼえた。
「耳がきこえなくたって死ぬことはないよ」って返したっけ。
そして、7日間ポストの前を通るたび開けてそわそわする日々を過ごすことになるんだ。

「文字がかけるのはどうして?」
次の手紙はこんなことがかいてあった。その下に「よかったらここに手紙をください。」とのんちゃんの住所がかかれていた。郵便番号の1と7が書きわけられていなかったのをおぼえている。
耳がきこえない人のことをなめてやがる、って親に文句をこぼしたあと500円玉を握りしめて近くの文房具屋さんで一番かわいい便箋と封筒のセットを買った。
これがわたしにとってはじめての同級生の友達だったからかもしれないし、女の子の友達がほしかったからかもしれない。わたしが通う学校には同級生がいなくて、いっこうえの先輩のクラスに入れてもらっていたからよく思われなくて、友達ができなかったから嬉しかったんだと思う。
のんちゃんとの文通は10年も続いた。

そして、中学1年生のときだったかな。
のんちゃんへのお返事をかいたあと、文字をまだ書きたいという衝動に駆られて、その勢いでそのへんにあった雑誌(ニコラ)の読者投稿ハガキにのんちゃんとの出会いをかいた。
ニコラに載らなくても、送れば編集者の誰かは読んでくれるだろうと。それだけでも嬉しいと思ったのだった。

ところが、次の月に販売されたニコラにわたしの投稿文が載った。
「はじめてできた友達が文字でした。」という題名から始まり、「のんちゃんに感謝しているし、もっと友達がほしいという欲が出るようになった」という締め方をした気がする。そして次の月、4通のお手紙をまとめて入れた大きな封筒が編集部から届いた。

それから、文通づくしの日常がはじまった。
毎日、家を出るときと帰るときにかならずポストを開けては手紙を書く日々。
学校には居場所がなかったけど、便箋を文字で埋めると居場所ができていく気がして満たされていたと思う。
まさしく文章に生かされていたんだなあ。

この文章で誰かにこれを伝えたいっていうのは特にないけど、この頃の記憶を吉田くんからのお誘いで思い出したのでかいてみた。

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