自慢じゃないが、私は家から会社までが遠いので通勤時間がべらぼうに長い。電車の接続がまずいと往復で5時間くらいかかる。
自慢じゃないが、勲章みたいに思っているきらいがある。中学の頃からずっと、片道2時間近い距離を毎日電車で通ってきた。
一日の約6分の1を電車で過ごしているのだ。有意義な時間にしたくて、勉強したり本を読んだり映画を観たりして過ごしてきた。ただ、最近電車で何かしようとするとすぐに気分が悪くなる。とてもつらい。乗りすぎで電車アレルギーになってしまったのではないか。食べすぎるとアレルギーになるというのだから、電車アレルギーもありえない話ではないかもしれない。
仕方なく、最近は電車であほ面を晒して寝るか、電車内の人々を眺め回すかどちらかをしている。とてもつらい。
ただ、そうして電車に揺られていると、私たちは意外と夥しい人間の人生と触れ合いながら生きていることに気づく。意外も何も、大量の人間が電車に詰め込まれて運ばれているのだから当たり前なのだけれど、隣に押し込まれて大きなお腹が窮屈そうなおじさんや私の鼻先にフードのファーをチラつかせてくしゃみを誘発してくるお姉さんの、それぞれがその背中いっぱいに背負っているであろう人生を想像することは私にとってなかなか新鮮な体験だ。
たとえばそこで美容系の本を見ながらもう片方の手で小さくフェイシャルマッサージの動きを復習している女の子、もうすぐ試験なんだろうか。だいぶシュールな動きだけど、本人はきっと必死だ。ものすごく真剣な表情で手をワキワキしているから。
考えてみたらこの個人主義の時代、こんなふうに知らない誰かとパーソナルスペースがゼロになることなんて電車くらいしかない。今も私は友達の顔を覗き込むより近い距離感で、知らないお姉さんの真剣な顔を覗き込んでいる。
あーみんな生きてんなぁ。今日一日をなんだかんだ頑張ったんだなぁ。みんなが帰る家を、背負う人生や守る世界を勝手に想像して、勝手に優しい気持ちになって私は帰路についている。
割と有意義じゃない?これ。
東京退勤日記、はじめます。
休日ダーリンなのにね。
手がワキワキ、おもしろい笑
今日わたしも片道3時間かけて大学に行きましたが、隣の席の大学生がずっとフランス語を空に書いていました。この場限りの出会いなのに、案外印象に残るものですね