エミリー

エミリーは私が小学四年生の秋、私の家にやってきた。

犬種はシェルティ。夏に一度静岡まで会いに行って、秋に引き取りに行った。本が大好きだった私は、エミリーがやってくるまでの2ヶ月間、「犬の飼い方」だとか「シェルティの習性」だとかそういう本を、ページを覚えるくらいまで何度も何度も読んだ。胸の内のはち切れそうなワクワクを飼い慣らす方法がそれしかなかったんだと思う。

名前に特に意味は無い。メアリーとエミリーで迷ってエミリーになった。当時の私は多分、外国の名前の綺麗な犬を飼っている女の子に憧れていた。

家にやってきたエミリーは大人しくて、小さくて細くて、貧相だった。写真で見ていたシェルティとは全然違って、足はもこもこしていないし、耳は垂れていなかった。でも一番可愛い、私の妹だ。

鳴き方が分からないのかな?なんて冗談を言っていたら本当にそうだったらしく、最初の日はクゥ、とかヮオゥ、だとか、よく変な声を出して家族を笑わせた。

大きくなるとよく吠えるようになった。インターホンが鳴る度に狂ったように鳴くので、何度も矯正しようとしたが諦めた。

わたしは一人で犬を散歩させる女の子に憧れていたから、早く一人で散歩をさせたかったのだけれど、しばらくは許してもらえなくて、よく父と散歩に行った。誰もいないグラウンドでリードを外し、対角線上に父と私が立つ。私がエミリー!と呼ぶと、エミリーは一直線にこちらに駆けてくる。グラウンドでは追いかけっこもよくした。私はエミリーより走るのが全然遅いのにエミリーは私の隣で走ろうと何度も後ろを振り向くから、しょっちゅう私の足にぶつかった。

エミリーが来た年、私は幼稚園の頃から憧れていたピアノの演奏会に初めて選ばれた。同時に、幼稚園の頃からどこか「そうなるもの」だと思っていたピアニストに、私はなれないだろうと気づき始めていた。

たまにピアノの部屋にエミリーを連れてきて練習した。エミリーは部屋を歩き回るから、変なものが落ちていて食べてしまわないか気になって、最初のうちは練習に全く集中できなかった。だんだん慣れて、エミリーは私のピアノを聴きながら部屋ですやすや寝るようになった。エミリーの丸まった温かさを足元に感じながらピアノを聴かせるのが私は好きだった。

散歩が大好きなエミリーは、「さ」と「ぽ」が聞こえるとわたしのところにものすごい勢いで駆け寄ってくる。でもシャンプーは嫌いだったから、「シャンプー」と言うと「おさんぽ」との音の違いに気がついて注意深く首をかしげた。おさんぽが大好きなのに階段を降りられないから、すぐに私の膝に飛び乗って、当たり前のようにだっこされて階段を降りた。

私が家族と喧嘩をすると誰よりもオロオロするのはエミリーだった。私たちの顔を見上げながら、家族と私の周りをぐるぐると回った。すごく怒っている私は時々、誰よりも悪くないエミリーに「邪魔!」と怒鳴った。ごめんね。

幼犬用のドッグフードから成犬用のドッグフードに変わるのはあっという間だった。気づけば老犬用のドッグフードを買うようになった。

エミリーはグラウンドで走らなくなった。小さく咳をするようになったし、寝てばかりになった。

夜、私のお尻にお尻をくっつけて眠るエミリーを撫でながら、いつかエミリーがいなくなってしまうんだと思って時々泣いた。そうするとエミリーはすごく不思議そうな顔をしてむくりと起き出して、私の涙をぺろぺろ舐めた。エミリーはちゃんといるのに、そんな事ばっかり考えてごめんね。

家族と馬が合わず家にいるのが嫌で、下宿することにした。エミリーは私がいなくなって寂しそうだよと母は電話で言った。ピアノの部屋で音がすると、階段の際で一生懸命首を傾げて音を聴くそうだ。ピアノに嫌気がさしていた私は、「そうやって私にピアノを弾かせようとするのやめてよ!」と怒った。

2年後、下宿をやめて、家に帰ってきた。エミリーは前よりもっと老いていた。毎日点滴が必要だという。エミリーの綺麗な毛並みに血が滲むのは悲しかった。それでも、これからは毎日エミリーと一緒にいられると思ったら嬉しかった。

私が帰ってきてすぐ後、エミリーは入院した。母は一度「エミが死んだらどうしよう」と泣いた。思えば、ずっと前からそれを恐れてきたんだ。一人で何度も泣いたのに、その時に泣くのは何か違う気がして、こうやって気持ちを人と共有しようとできる母が羨ましいと思った。

動物病院の先生によれば、かなり回復したからもう大丈夫ということだった。拍子抜けするほど安心して、海外出張から帰ってきた父を迎えに行くついでに動物病院にエミリーを迎えに行った。

動物病院に着いた途端、家族で集中治療室に連れていかれた。私達の声が聞こえた途端、倒れてしまったそうだ。

色々なチューブを取り付けられたエミリーを見た途端、脚ががくがく震えた。「めっちゃ脚震えるやん」と思う。意外と冷静に状況にツッコミを入れるのに、身体だけがぶるぶる震えた。

ずっと延命治療をして下さっていた先生が、つと手を止めて、愛犬が初めて病院に来た時の思い出話を問わず語りに始めて、母がわっと泣き出した。考え屋の私はそれで初めて「あー、もう助からなさそうなんだ」と気づいた。「はぁ、なるほど」。

人や生き物が亡くなる時、人間はこうした一種の「形式」でその死を共有することを知った。

動物病院の先生や看護師さんも泣いてくれた。それがすこし、有難かった。

翌日は私のピアノのコンサートだったので、午後はピアノの練習をした。父は葬儀の手続きを進めていた。コンサートの演奏曲とは別に、1番大好きな曲を弾いた。「きっとエミリーに届いたよ」と言われたけれど、まるで届かないみたいに言われるのが嫌だった。

その夜は寿司の出前を取って食べた。母は味のしないグミみたいなマグロを食べながら「まだ生きてるみたいなのに」と泣いた。

翌日、硬くなったエミリーをピアノの下のベッドに寝かせてコンサートに出かけた。私のピアノを聴いて寝ている時と同じような寝顔だった。母が昨夜言ったとおり、まだ生きてるみたいだった。

小さい頃から「どんなに悲しくても、家族が死んでもその日に本番があったら世界で一番幸せな人間の演技をして舞台に出なさい」と言われてきた。まさかこんな早く、そんな日が来るとは思わなかった。比喩だと思ってた。

いつも通り笑顔でお辞儀をしてピアノに向かった。私はピアノの本番での笑顔が一番良いのだ。ピアノに向かう。右下の足元に、会場外の芝生に、エミリーがいるのが想像出来た。落し物を探す時、「あそこにあるかもしれない」と思った場所にその物がある様子を想像出来る、あの感じ。でももういないんだよな。

「死んでも心の中で生き続けるから」なんてよく言うけれど、本当なのかもしれない。

よくエミリーの夢を見る。死んで1年間はぱったり見なかったのに、最近しょっちゅう出てくる。夢の中でも私はエミリーが何か変なものを食べないか心配して、エミリーの老いを恐れて、「エミが死ぬ時めっちゃ悲しいだろうな、やだな」って思って、起きて「そうだ、もう死んじゃったんだ」と気づいて。悲しいけどちょっと安心する。もう失わなくていいから。

今もエミリーは私のお尻にお尻をぴったりくっつけて眠ったり、シャンプーと言われれば首を傾げたり、階段のすぐ側でぴょんぴょん飛んだりして、生きているだけで私を心配させてばかりの妹だ。

“エミリー” への3件の返信

  1. エミリーのことがとっても好きなんだなって伝わってきて、泣けてきそうです。
    私にも同じような妹がいます。小4の時にうちに来ました。

  2. この話をよんで、初めて犬や猫を飼いたいと思う人の気持ちがちょっとわかった気がします。
    自分より先に死ぬのがわかっているのに、なんで飼わなきゃならないんだ!って思っていましたが、むしろひとつの命を見届けるという体験に大きな価値がありそうです。

  3. これ最高だね!最高の説明をはじめるとあれだからやめるけど、本当に最高。ゆうかちゃんありがとう。嬉しいよ。

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