マイ・アミダニョライ

外から帰って、座敷にバタンと寝転がった。畳から舞った細かい塵が、廊下から差し込む光を浴びてきらきらしていた。綺麗だった。嬉しくなって、転がったまま足でパタパタ畳を叩いた。小さい光の粒がはらはらと降ってくるみたいだった。仏壇の上の阿弥陀如来が、それを黙ってじっと見ていた。阿弥陀如来は目を瞑っていると思っていた。よくよく見たら、実は半目だった。

子供の頃の記憶。今朝早くに目が覚めて、カーテンの裾に落ちた日の光を見ていたら思い出した。思い出と一緒に、一瞬ふとお米が炊ける匂いがした。毎朝仏壇へおんじきを運ぶのが、あの頃の自分のしごとだったからかもしれない。それでなんとなく久しぶりに、以前母から譲ってもらった土鍋でお米を炊くことにした。冷凍庫の目刺しウルメも3匹焼いて、大根をすって、漬物も切って、一緒に食べた。それは誰の朝なのか分からないくらい、久々のちゃんとした朝だった。でも別に、気分がいいわけじゃなかった。頭を掠めた遠い記憶の方が、今の生活よりよほど確かに、鮮やかに思えた。それを心底嫌だと思った。

財布だけ持って、家を出た。3連休明けの昼間、陶芸室にはひとっこひとり居ないだろうというのが、私の予想だった。ぐわんぐわん揺れるバスに乗って小1時間。けれど陶芸室の扉を開くと、どういうわけか人が3人もいた。き、君たち、暇か!うっかりそう思った瞬間、いや、暇は自分か、と思い直した。いや、そんなのは人の勝手か、と心の内で自分の頬を打ったりもした。でも3人はあまりに予想外だった。ちょっと泣きそうだった。そこでまず倉庫へ入って思案して、今日はいっそ、忘れ物を取りに来たふりをして帰ろう、などと思った。なんだか少しも人と話したくなかった。顔を見るのも憚られた。よし、しゃーなし。帰りまひょ。でもその時だった。

 

「あの、すみません!前来た時と道具の場所が色々変わってるみたいなんですけど、そういうの、分かりますかねぇ。」

 

う、うううううううううう!!!

 

 

 

ここから先、特に書くことはない。

ただその質問にささっとお答えして、ささっと帰ればよろしかったものを、わたしはまた何故か無駄にスマイルし、無駄に丁寧にナビゲートし、そうしてすっかり道具を準備してしまったがため帰るに帰れず、自分のあほあほあほーう、と心の内で叫びながらしかしスマイルしながら天気の話を100通りほど交わしながら平凡な碗をぺたぺた作りながらやけに疲弊した、ただそれだけである。本当は今日、わたしはバスの中で「マイ・アミダニョライ」を作ろうと企んでいた。それが一体何なのか、どんな姿なのかは自分にもよく分からなかったが、試しにやってみたかった。でも気持ちがひたすらそわそわして、もう無理だと断念した。あるいは阿弥陀如来は半目だけれど、「マイ・アミダニョライ」は白目を剥いているのかもしれない。なんか色々やってられん。南無。

(ここでの今日とは、厳密に言えば昨日にあたります。自分本位な時間軸で申してしまいました。寝ます。南無。)

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