no title

あやべくんのダーリンを読んでしまったので、う、うぅ、と思い書いています、なんてね。はは。

ダーリンの存在を教えてもらった時、とても嬉しかった。今向き合って清算しておかなくちゃ「どんどん固くなって深くに沈んでしまう」ものがある、そんなよしだくんの文章にすごく共感した。その真意を自分がちゃんと理解できているかは、また別としてね。笑

大学に入ってiphoneを手に入れてから、わたしはメモに色んなことを書いていた。もっと遡れば、高校生の頃はiPod touchのメモや自宅に置いたノートに、中学生の頃には「リアル」っていうウェブサービスのページに延々と、夜中から朝にかけて何かをひたすら書いていた。笑えるのは、その頃はわざわざサイトに書いているにも関わらず鍵をかけ、黒い背景に黒い文字で書き、他人にも書いた本人にも読めない、見返せないように文章を書いていたことだ。うーん、ひたすら痛いぜ。まぁでもね、つまりわたしの「生きるために、書く」作業はこれまでずっと、決して他人の目に触れないということを前提としていた。もはや文章になっていなくてもいい。どれほど無意味でも、ど阿呆でもいい。いくら他人を、自分を、傷つけてもいい。あるいは賞賛、美化してもいい。そういう前提で、グダグダと色んなことを書いていた。当然特に生産性みたいなものもなく、精神や暮らしを健やかなものに転換する効果もあまりなかったと思う。ただ何かによる爆発を防ぐための、膨らみ続ける風船に小さな穴を開けておくようなそんな作業。あるいは生きるためにただ食いつなぐような。栄養とか味とか見た目とか関係なく、ただそこにあるカロリーを摂取しているような。トランス脂肪酸とかなんとか、少しも気にせず。

でもダーリンで文章を書くことは、ちょっと違う気がする。あ、あくまで自分にとっては、という話ですよ。つまり、ダーリンは生きるために書く文章だけど、同時に人の目に触れる、誰かに読んでもらう文章なんだよなー。それを毎日書くってことが難しいことなんだと、書きはじめる前はぜんっぜん分かってなかった。人に読んでもらうってことは、自分で一応「何か」を整理して、形としてある程度整える必要がある。そしてその工程が、何かに自分なりの価値を与えてみたり、肯定とまではいかずとも、その存在を認めたり、それを少しだけ美しく、面白く捉えようとしてみたり、あるいはそもそも言語化が難しいものにあえて言葉をあてがってみたり、そういう何かしらの一手間、積極的な行為を要する工程なんだと次第に感じるようになってきた。それがこれまでやってきた独り言の書きなぐりとはまた違う、「向き合う」、「清算する」、ということに繋がるのかもしれない。その積極的行為の先には、ちょっとだけよりすこやかな気持ちが待っているのかもしれない。なんてね。食で言ったら、ちゃんと調理をして食べるって感じ。栄養とか味とかちょっと考えつつ、でも無理はせず、身の丈に合う何かを自分なりに調理して食べる。会った事もない誰かと。そしてそれが自分の体を作ることを、頭の隅でちょこっとだけ意識しながら。…とか言いつつこれがねぇ、なかなか。なかなかなのよ。まぁだから大抵はめちゃくちゃくだらんことを吐き出すように書いて、時々、ほんの時々ちゃんと何かと向き合えたらな、と思いはじめました。ね、思うのは簡単なのですが。思うのは。ぐおおおおおおん。

さて、わたしが毎日続けていることは愚行です。って、そう言う質問じゃないよね。ほほ。でも食べることも寝ることも日々おざなりに、時に忘れてすっ飛ばし、あるいは過剰にし、必要なことは言わずいらん事だけを言い、なるだけ多くのことを先延ばしにして自分の首を絞め、ぐおおおおおんと叫びながら泣いています、毎日。ふふ、そんな人生。でも続けてます。ここでわたしはダーリンを毎日続けてるよ!なんて言えたらよかったけど、それはとんでもない虚言っすね。笑

 

よし。寝るかの。

 

 

告解:実は先ほど、コンビニへ赴きアイスを買って食べました。ハーゲンダッツ。抹茶。なにしとるんや。ぺろり。

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