「わたしね、自転車に乗れないの」春なのか夏なのかわからない日差しが射し込む喫茶店で、大学三年生に進学したばかりの彼女は大学四年生に進学したばかりのわたしにそう言った。
「ええ、練習とかしたことないの?」
「わたしが生まれたこの街は電車もバスも充実しているし、わたしの家には車もあるから、自転車に乗る機会が無いの。だから練習することなくそのまま、ね」
平日の昼下がり、客足が遠のく喫茶店で働いているわたしと彼女はバイトとして入ってそこそこ長いからか、やるべきことも終え、暇を持て余していた。彼女は閉店作業をやらない。閉店時間が遅いこの喫茶店で閉店作業をしてしまうとバスや電車が終わってしまい、家に帰る手段がタクシーか徒歩しか残されないためだ。
ましてこの街はすこし治安が悪い地区がある。深夜に女性ひとりで歩くのはちょっと危険だろう。このような理由から彼女は閉店作業をやらないのだ。閉店作業をする学生のほとんどは自転車もしくは原付通勤であり、大抵みんな地方から出てこの街に来て大抵みんな一人暮らししていて大抵みんな帰る方向が一緒なのだ。
しかし彼女はこの街に生まれ、育った。彼女の家はみんなの帰る方向と全く逆方向なのだ。
「この前ね、友人と旅行した時にレンタルサイクルしようって話になったのね。よし乗ってみよう!って頑張ってみたけどどうにもうまく乗れなくて転んじゃった」彼女は照れ臭そうに笑っていた。
わたしが生まれた街は北の国の東部の奥の奥。3階以上の建物はもちろんないし、わたしが働いているおしゃれな喫茶店もないし、子どもが喜ぶような幸せ一式を売りしているファーストフードのお店もなかった。あるのは小さなスーパーと車が必要なほど遠いコンビニとわたしが育ったアパートと、そして、青い空と広い草原と人口よりもはるかに多い牛。
そんな街で生まれた子どもが遊びに出かけるために自転車は必要不可欠だったから、わたしは気付いたらもう自転車に乗っていた。
人間がたまにドジって液体の入った器をこぼしてしまうように、神様がドジったのだろうか、わたしは身体の五感のひとつである「聴覚」という部分が欠けている。
「聴覚」が欠けた子どもを教育できる環境のある学校がわたしの生まれた街には無かった。そもそもこの街で「聴覚」が欠けた子どもが生まれたのはおそらくわたしが初めてではないだろうか。
そんなことで、わたしは次の街へ引越しすることになった。そこは北の国の東部の中ではそこそこ栄えていて、でも不思議な街だった。一年の半分以上が霧に覆われていて、霧の街とも呼ばれるところだった。尤も霧は数メートル先が真っ白に覆われるほどの濃度だった。そしてかなりの車社会な上に治安も悪かった。
暖かくなれば不審者情報が毎日のように出回るし、「わたしたちの子どもが行方不明!さがしています!」というキーワードには見飽きたし、防犯ブザーは義務というより強制に近い形で持たされていた。別に心配性でもなく「自分のやりたいことはどうぞやっちゃってください」スタイルである母もこの街に住んでいた間だけは頻繁に車を出して送迎してくれた。
不審者といえば、今思えば度胸があるガキだったなあでも普通に危ないなあと思う出来事がある。
ある日、幼馴染の女の子と一緒に帰っていたときだった。小学低学年の頃だったと思う。幼馴染とは帰る方向が途中まで一緒で毎日のように一緒に途中まで帰っていた。不審者によくつけられていたのは朝登校する時ではなく、夕方帰る時だった。つけられているときはいつもコンビニに入ってやり過ごしたり、たこ焼き屋に入って店長さんに匿ってもらったり、教会の神父と会釈して様子見たり、幼馴染を連れて走って自分の家に帰ったあと、母が車を出して幼馴染を家に送らせたりしていた。
脱線したね。
ある日、幼馴染の女の子と一緒に帰っていたときだった。全身黒コーデの怪しい人がわたしたちの数歩後ろに立っていた。真夏なのにマスクと黒いサングラスをしていた。不審者はわたしたちが歩くと歩き、わたしたちが立ち止まると立ち止まって明後日の方向を見ていた。
幼い頃のわたしはその様子がとても面白かったのか、歩いては立ち止まって振り向き、また歩いては立ち止まって振り向いていた。不審者もそれに合わせて歩いては立ち止まって明後日の方向を見るのだ。なかなか面白かったのを覚えている。面白がるわたしをよそに幼馴染はとても怖がっていた。
普通に考えれば、自分より数倍も大きい人につけられているのだ。これほど怖いことはないな。
怖がる幼馴染をなんとかしないといけないなあと思ったわたしは不審者をコンビニの近くまで誘導した。そして持たされていた防犯ブザーを握って幼馴染に「待っててね」と告げ、わたしは回れ右をして不審者と対面する形を取った。案の定、不審者は明後日の方向を見ている。わたしは一歩、そして一歩と前へ踏み出し、不審者に触れることができる距離までに近づいた。動揺しはじめる不審者を見上げながらわたしは握った防犯ブザーを不審者に見せるように取り出して、
そして、鳴らした。
コンビニの前、そして帰り道の時間帯、子どもや大人、周囲にいた人々が一斉にわたしたちを見た。
不審者は慌てて走って逃げていった。
その日からその不審者につけられることは無くなった。覚えていないけどほぼ毎日1週間以上はつけられていた気がする。
今思えばなんて度胸のある嫌なガキなんだろうなあと思うけどあの頃はおびえる幼馴染をなんとかしたいという気持ちでいっぱいだった。
なつかしいなあ。
本当は生まれた街から今の街まで4つの街に住んでいて、今住む街の自転車の話からスタートして、わたしが生まれた街、小〜中学生のときに住んだ街、高校生のときに住んだ街、そして大学生になり今の街になったという話を書きたかったのですが、脱線しすぎて長くなったので今日はこの辺で。
続きはまた、こんど。
不審者の話で盛り上がった記事なので、トップ画像は同じくぼくのダーリンを書いているわたしの友人である不審者コーデのななこちゃんにしました。
面白い。住んだ街のはなしどうでもいいくらい面白い。