2月が終わるのに10日もいらないけど、6日はまだあるんだなと思っていたのに気付いたら3月がやってきた。情報解禁の月。別れの式がある月。貴族の子女の「あそびごと」がある月。そして平成が終わってしまう月。
平成に生まれたわたしは平成が終わってしまうことにすこし寂しさを覚えている。昭和は60年も続いていたので、平成もそんなものなのかと思っていたから、昭和の半分にして終わるとは思っていなかった。まあその前の大正は更にその半分の15年で終わってますね。新しい元号は何だろうか。そしてその元号でわたしは寿命が尽きてしまうか、また新たな元号を迎えるのだろうか。
先のことは本当にわからない。
仕事帰り、ダーリンの記事を更新してから洗濯と風呂を済ませて布団に潜り込んだわたしは「住んだ街」というテーマを提案してくれたよしだちゃんに「完結しましたよ」という業務連絡をしては、しばらく連絡を取り合っていた。どうやらよしだちゃんは今日から東京にいるらしい。「旅を楽しんで」と送ったら「旅ではないなあ」と返ってきた。「寝る場所が違うってかんじ」
「旅は野宿ってかんじ」という見方をするよしだちゃんにわたしはこういう見方もあるのかと思った。わたしにとっての旅は「会うはずのない人に会いに行く」ことだと思っていた。わたしが意図してその場に訪れなければ永遠に出会わないような人に会うために。家から、自分が住む街から、出たらもうそれは旅であり、そこで出会うすれ違う人々はこの先もう2度と会えないのかもしれないんだといつも思いながらそれでも出会うために。
地図がもはや迷路になっていて案内掲示板は文字と色で情報過多になっている駅のホームで次の電車の乗り換えに迷っていたら助けてくれたお兄ちゃん。電車に乗っていたら「すみません、ここは東京に行きますか?」と訪ねてきたおばあちゃん。駅からかなり歩き人が住む住宅街の隅でひっそり営業しているBARに訪れた時に出会った人々。みんな下手したらもう2度と出会うことはないかもしれない。それでもわたしは2度と出会えないかもしれない人々と会うために。
それがわたしにとっての「旅」であり、そしてわたしは「旅」が好きだ。
「旅」によってどんな人に出会うかはわからない。そう平成がいつ終わってしまうかわからないと同じように先のことは本当にわからない。わからないことをわたしは楽しんでいるのだ。
「東京来ないの。土日」今週末は残念なことに仕事で埋まっていた。でも来週の月曜日は朝から東京で用事がある。朝がとにかく嫌いなわたしは日曜日の夜に東京に泊まってしまおうかなと考えていたので「日曜日の夜なら」と。
そんなことで話が進んで日曜日の夜によしだちゃんと同じゲストハウスに泊まることになった。月曜日の朝に朝ごはんデートをすることになった。これはよしだちゃんに「完結しましたよ」と業務連絡する前の時点で予想していなかったことなのだ。どうやらよしだちゃんの日曜日は昼から呑んでいるらしいので、相手が泥酔状態でわたしがシラフでの初対面ということになるだろう。「大丈夫ですか?お水ですよ」と言いながら日本酒を呑ませてあげたい。焼酎もいいなあ。水に見えるお酒を教えてください。
先のことは本当にわからない。だから、楽しいんだね。
書いた後に調べたのですが新年号の発表は4月で始まるのは5月だそうですね。平成が終わる2ヵ月前ですね。
みんなが10連休だ!わーい!ってなってるときに元号変わってるね。そのタイミングで元号が変わるおかげで10連休になったっていうようなもんだけど 笑
わたし不定休のサービス業なので10連休は繁盛期が10日間もあることを意味するすなわち死と同じなので今から既にしんどいです。たしかに10連休明けで死にそうな時に元号変わったと気づくパターンかもしれませんね笑
業界によってはそうなっちゃうんですよね、でもしんどくなる前にぜひダーリンにリフレッシュに来てください