「つかれたおじさんのウィスキーバー」

 

 

 

「もっと障害者に限らず全ての人間が幸せになればいいと思います。」数多のウィスキーが並ぶカウンターしかないBARの向こうでノートにその文章をマーカーで書いたつかれたおじさんは泣いていた。

 

東の都から電車で揺られること数十分、存分に潮風を感じられる中国の街並みの顔も持ち、大きな観覧車は堂々と構えていて、幾多の船が往来し、赤いレンガで築られた倉庫のある港町に来ていた。

今日集まったのは全員耳を忘れて生まれてきた6人。最近タイに行ってきたメンバーだ。タイ旅行でわたしが喉を激しく痛め、飲み会に不参加したため日本でリベンジしようということで集まった。

港町でいくつかの居酒屋やBARを渡り歩き、また新たなお店を捜し求めていた時だった。

昭和に置き去りにした趣のある飲み屋が並ぶ商店街みたいな路地を歩く。様々な店の看板が道路に並ぶ。その中でひとつ、おもしろい看板を見つけた。

「つかれたおじさんのウィスキーバー」

つかれたおじさんというキーワードに惹かれてしまったわたしたちは吸い込まれるかのようにそのお店に入った。数多のウィスキーが並ぶバーカウンターしかない席数の少ないお店だった。わたしたちが手話という言語で話しているのを見たつかれたおじさんは耳が聞こえない人々なんだということを悟ったようだ。

一人の友人がでかいノートとペンを取り出して「筆談で会話しませんか?」というアピールをした。つかれたおじさんは同意し筆談でのやりとりが始まった。

「どこから来たの?」「仕事は何してるの?」「おすすめのお酒を教えてください」よくある会話を筆談で交わし重ね、ウィスキーも3杯目に突入する頃「なぜつかれたおじさんなんですか?」と一人の友人は聞いた。

「サラリーマンとお母さんにつかれてしまってね」

つかれたおじさんは黙々と書き続ける。

「出生届けを出せてない家に生まれてしまってね。学校もあまり行けてなかったんだよ。お父さんが6才でしんでお母さんが15才でしんだからひとりで生きてきたんだよ」

絶句するわたしたちにつかれたおじさんは続ける。

「マイナスがあればプラスが大きいよ」

その言葉にわたしは同意してしまった。耳を忘れて生まれてしまったわたしは五体満足の人間から見たら非常にマイナスな状態だ。しかしわたしはそれをマイナスと思ったことは少ないしむしろプラスなことだらけな人生だ。まだ24年目だしこの先どう転ぶか分からないけど少なくとも現時点では圧倒的にプラスだ。

そしてつかれたおじさんは泣いてしまった。

「もっと障害者に限らず全ての人間が幸せになればいいと思います。」そして続ける「ゴメンね泣けてしまった」

一人の友人が筆談で返信する。「でもわたしたちたのしい!あなたに出会えて本当によかった!」

もしわたしがタイで喉を痛めることが無かったら。日本で飲み直そうということがなかったのかもしれない。つまりつかれたおじさんに会うことはなかったかもしれない。わたしたちがつかれたおじさんと巡り会えるようにするために神様はあえてタイ旅行という最悪なタイミングでわたしの喉を痛めにきたのかもしれない。

そう考えると人と人の縁、そして偶然と運命はなんて不思議なものなんだろう。とウィスキーの入ったグラスを傾けてわたしはそう思った。

つかれたおじさんに出会えてよかった。この街に来れてよかった。かなり充実した夜を送れてよかった。

いい夜でした、本当に。

“「つかれたおじさんのウィスキーバー」” への5件の返信

  1. さとりくん、その障害者も含めてみんな幸せになればいい的なこと書いたの、おじさんじゃなくて私なの、、、

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