おじさんとの一晩

さとりも書いてたけど、わたしも書くね。人生につかれたおじさんの話。

タイ旅行のメンバーで"反省会"と称して横浜飲みしてきたよ。

桜木町にある『カントリー』っていうバーを通りがかったら、看板に「つかれたおじさんの店」って書いてあってなんだか惹かれてしまって入ってみた。

確かに人生に疲れた感じのおじさんが誰もいない店内でレモンサワーをちびちび飲んでた。ベレー帽がめちゃくちゃ似合ってた。

お酒が進んで、酔いがいい感じに回ってきたので聞いてみた。なんで"つかれたおじさん"なんですか?って。

そしたら、おじさんは言った。

「人生に疲れちゃった。」

さらに話を聞くと、彼は出生届も出してもらえないような環境で生まれ、学校にもろくに行けなかったらしい。

シラフで聞けない話だなあ、って思ってウイスキーを喉に流し込んだあとに「わたしは障害者も含めた全ての人間が幸せになればいいと思います」ってノートに書いて渡した。

 

ノートを渡しながら「ああ、脈略のないこと書いちゃったなあ」ってすこし後悔した。でも、わたしは考えてこの言葉を選んだつもりだった。

わたしは、(場合によっては)あまり「がんばってね」という言葉が好きじゃない。なんだか、相手を突き放しているような気持ちになるから。

でも、「一緒にがんばりましょう」もなんだか違う気がした。彼とわたしのがんばりを同じステージに並べるのはよくないと思った。

だから、わたしはこの言葉を選んだ。理由を明確に言葉にしてここに記すこともできないほど、伝えたいことがあったわけでもなかったけど、なにかを伝えたかったんだと思う。

 

そしたら、彼は涙をみせた。

「なんだかなけてきちゃった!」とノートに書いては、写真をいろいろみせてくれた。他界した二匹のペットとか、クレープ屋さんを経営していた時期のこととか、彼のことを教えてくれた。

きっと、彼もわたしの伝えたかったことを確実に受け取ったわけじゃないと思う。でも、なにか感じるものがあったんだろうと思う。

 

彼のことを教えてもらったお返しに、わたしは絵を描いた。おじさんをまず描いて、亡くなった二匹の犬をその隣に描いた。そんなに上手ではないけど、彼の人生に対して下手な感想を述べるよりはマシだろうと思ったから。

すると、彼はおもむろにその紙を店内に貼りはじめた。気に入ってくれたようだった。

この空間の中では、筆談で確実に言語を交わしつつも言語以外の干渉が多かったと思う。

相手の言葉に頷くことに対してリスクがあったのかも。絶対に共感できないようなことに「わかる」と言いたくなかった。

まあ要するに、「わからない」ことも会話のひとつなんじゃないかな。「ぜんぜんわかんねえなあ」ってお互いに仲間意識を持とうとしない努力をしたんじゃないかな。

"言葉にできること"って本当に少ないなあ。

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