僕って初めましての人に大学と学部名を伝えると「え、よしださん理系だったんですね」とか「文系だと思ってました」とか言われます。僕は名古屋大学の情報文化学部というとこに在学しています。名前に情報と文化という言葉が入っているので理系なん?文系なん?という感じですが、僕はいちおう理系の人間です。
で、僕が疑問に思うのは、なにをもって人は理系か文系かを判断しているのか?そもそも理系と文系の区別をする必要あるの?ということです。今回は事前に情報を集めて答えが出ているわけではないので、答えを明記するというよりかは、なんとなく僕はこう思うのだけれど、君はどう思う?というスタンスで文章を書いてみます。
まず、なんで僕が文系ぽいと思われるのか考えてみよう。
語彙圏が理系より文系ぽい(村上春樹かぶれ)
興味の対象が文化的なものが多い(サブカルクソオタク)
論理的思考がよわそう(○○ポイよねー笑、テンション上がるしか言えない)
という理由が自分では思い当たります。あれ、文系って表現は悪口なんだっけ?吉田を罵倒するためのパンチラインをより集めた言葉が文系という言葉に集約されてるとしたら面白すぎるし、世の中の立派な文系学生に申し訳なさすぎる。
理由を列挙して感じたのは、学生の学問領域を判断しているかというより、個人の人間に文化資本をより強く感じるかとか個人の話しぶりに影響されているということです。違ったらコメントに違うだろハゲと投げつけてください。
学問領域で理系文系を判断するのはナンセンスだなと思います。例えば僕は情報学部の理系学科に在学しているので、プログラミングを教えてもらいます。学ぶというより、教えてもらうって感じです。ITを理系ぽいと思う人もいるかもしれないけれど、基本的にはプログラミングは言語なので、英語とかロシア語を勉強することに近いです。なので言語を学ぶという点においてはみんなが想像するところの文系に近いのではないかと思います。例えばぼくのダーリンははphpで記述されたwordpressという環境で運営されていますが、僕がphpを書くことはほとんどありません。それぞれの言語や仕組みを一から作る人がすごいのであって、製品を使ってビジネスにしたり遊んだりしている人はなんもすごくありません。理系学部は理系人間なのか?という僕の答えですね。
文系分野の学問も数学的な知識を要しますよね。どんな領域でも統計分析ってやらないといけなくなると思います。例えば正規分布、二項分布、ポアソン分布の勉強をすると、二項分布からポアソン分布を導出するとき極限を求める必要があるし、ポアソン分布の期待値を求めるときに指数関数のマクローリン展開したりしますよね。数学の知識が必要なので、文系だからってわけでもなさそうです。
こんな感じで、理系と文系の学問を定義するものって存在してない気がします。
ということは、吉田の話しぶりとか思考の仕方なんじゃないかなあ。
どうやら頭がよさそうな話し方がこの世には存在するらしいです。島田紳助さんがNSCの研修生にべしゃりの技術を講義する動画が公開されています。かなり価値がある内容なのでとりあえず見てみることをおすすめします。
頭が良くみえる喋り方を西村ひろゆきさんも言及していて、これも公開されています。が探すのがめんどうなので貼りません。
あった!!!
それぞれの内容を統合して概要を記すと、論理的思考は自分のなかで結論が出ている場合、同じ経路をたどって話をするだけなので、思考停止していても話すことができます。「1+1=2」を口にするとき、脳は処理を行っていないことがわかります。脳の思考量に対して、人が口から発することができる量は限られているので、多くの情報を話すために自然と早口になります。なので、論理的思考を生活で大事にしている人は、なんでもスラスラと早口で返答して論理にほころびがないのが特徴です。これによって「この人は頭の回転が速くてすごい!!!カッコいい!!!」となるそうです。本人は話している間思考停止しているのでどちらかというと休憩しているに近いんだけれど。
これに対して島田紳助さんは感情型の話し方をします。既存の論理を使うのではなく、毎回エピソードトークに伴う当時の自分の感情を思い出して話すそうです。そこに論理的正しさがなくても、感情が人々を共感を呼び起こすそうです。この喋り方は毎回記憶から必要な感情を取り出して、言語化を行う必要があります。脳は常に処理を行う必要があります。なので、一定時間に話すことができる量よりも、言語化される文字数が少なくなるので、自然と喋りがゆっくりになります。
という感じで、二種類のべしゃりが存在するのですが、前者が理系ぽく、後者が文系ぽいと判断されていそうですよね。ひろゆきさんも動画で述べていましたが、早口ではなすやつは理屈は通っていますが、ディスコミュニケーションに陥りがちでギークでオタクっぽい印象を与えがちです。
逆にゆっくりと感情を伴った情報を話そうとする人は、文化人ぽくないですか。芥川賞の受賞会見をみると多くの著者がゆっくりしゃべっているような気がします。又吉さんとかを想像してもらえば問題ないです。
僕の喋りって基本遅いと言われます。日常生活ではある程度感情を伴った内容を喋りたいからです。その姿がなんだか文系っぽいよねと言われる原因の一つんじゃないかな。
今日も読んでくれてありがとう。話し方と、文化的趣向で決まるのかなあ。と言われると不十分な気がするよねえ。なにか思い当たるフシがあればコメントで教えてください。いや、吉田は文系ぽくないやん!みたいな意見もほしいです。
文理分けは本当にナンセンスな制度だと思う。
気になるのが自分の中で自分は文系理系を決めてしまっていて、可能性の幅を狭くしているのと分からないことの免罪符にしているのがいただけない。文系の人に多い(これは差別的な意味ではなくて、自称文系のことを指している)
我々が日常生活を営んでるときに政治の話や文化の話、歴史の話をするのにも関わらず医療とかテクノロジー、サイエンスの話になったときに「私は文系なので…」っていう人が多い。
「文系バカ理系バカ」って本が世の中の文系理系のイメージが書いてあって面白かった。
そうだそうだ、吉田くんは文系か理系か?吉田系だよ吉田系吉田。