たいしたことないコピーに感動したりするのだ。

こんにちは。よしだじゅんやです。
明日は大切な面接が控えているのですが、なんとなく書きたくなったので書きます。

今月ぐっと響いた言葉が二つある。
「情熱は約束を守る」
「根拠があれば、議論ができる」

上は、wikipediaを回遊していたら偶然見つけた言葉だ。bump of chikenのファーストアルバム「FLAME VEIN」のインディース版の帯に書かれていたらしい。現在販売されているアルバムはメジャーデビュー以降に再録されたもので、インディース当時のCDはすでに廃版になっている。僕にとってbump of chikenは青春そのものであり、血肉といっても過言ではない。しかし、さすがに再録版しかCDをもっておらず、このキャッチコピーに触れることはなかったのだ。

本当はコピーの定石や技術と照らし合わせて、この言葉を評価したかったのだが、あまりにも野暮な気がするからやめよう。ただ、廃版とともに消えていったところをみると、「一般的には」たいしたコピーではなかったのである。
ただ僕には強く響いたのだ。当時20歳だった藤原基夫の心境が痛いほどわかったからだし、僕の今の心境にマッチしたからである。僕が推測する藤原基夫の心境も記そうと思ったが、それも野暮な行為だと立ち止まった。僕がここで一番いいたいことは、人生によって研磨された言葉はここまで本質的で美しいということだ。

二つ目の言葉は、コピーでもなんでもない。僕が企業のOB訪問を行った際に、OBのかたが僕に語った言葉の一部である。
「企画を作るときに考えなくてはいけないのが、コストと顧客とステークホルダーです。これをちゃんと言えるようにしておくと良いです。昨夜当時のESを見返すと非常に甘い計画を立てていました。そして今でも上司に怒られることがあります。ただ、どんなに稚拙であろうと、根拠があれば議論ができます。」

そう語るOBの姿はとても印象的だった。目の光がずっと深くなって数十年分の過去を掘り起こしているようだった。おそらく学生時代から社会に出て今に至るまで、何度もその形を変えながら自分に語りかけてきたのだろうな。彼が長い年月をかけて醸成した言葉は、僕が求めている言葉でもあり、不思議な連帯感が生まれた。

説明するのが野暮だと感じたのは、彼らが職業的にコピーをつくっているわけだはないからだ。生活の中の経験が自然と言葉を生み出したのである。ダビデ像がおよそダビデ像には見えない部分を大理石から除いて作られたという逸話に似ている。コピーの技術や定石によって、組み合わせるように生まれた言葉とは根本的に違うのだ。言葉の質や重さは、血と肉によって研磨された回数によって決まるのだ。「知識は経験に勝らない」という僕の座右の銘を思い出させてくれた。ステップを踏もう。たまに引きこもりつつ、、、

今日も読んでくれてありがとう。座右の銘ってなんかこっぱずかしい言葉だよねえ。

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