冗談を言い合いたい

山の風、川の風。東屋の下をひんやりとした風が通り抜けていく。
足湯に浸かりながら、昨夜のやりとりを思い出そうと試みた。

はちまきは反芻動物なので、あとから会話を思い返して消化する。ひとりになった時でないと自分の中の正確な言葉を取り出せないと感じるんだ。
なんでも話したいと思うんだけど、言えないことはたくさんあるんだよ。リアルタイムで言うべき言葉を見つけ出すのは難しい。

「もっと冗談を言い合えるような関係になりたい」
私もそう思う。もっと仲良くなりたい。冗談を言い合えたら仲良くなれる気がする。なのに、どうやったら冗談の通じる人間になれるのか、方法がわからない。

壁を作っているのは私だ。
真面目過ぎて、カタブツで。

冗談
って気をゆるめた時に出てくるものだと思う。
わざと言うものだという気もする。

例えば、「もし自分の子どもが親が聞こえないことでいじめられたらどうするの?」
と聞かれた時、
「そんなことでいじめられないといけないの?けったいな世の中だ」
とわざと怒ってみせることもできたはずだ。本気で怒るんじゃなくて、怒ってるふり。
でもそうはしなかった。というか、できなかった。面接に答えるみたいに、くそまじめに返答を考えた。

ひとりになってみるまでは、自分の考えがよく見えない。会話中の頭は、相手に合わせるモードに切り替わっていて、本当の自分の気持ちがわからなくなる。
わざと言う言葉になんて、考えが及ばない。
いつも後になってからなんだ。こんな風にも言えたと気づくのは。

相手の冗談を私は本気にとってしまう。「冗談だよ」と言われても、ぽっかーん、ってなる。
言われたことに対して、「そうなのか」と一旦受け止める。「なにそれ」と突っ込む自分がない。
だから、冗談がわからないんだ。

きっと私は、これまでに多くの冗談を聞き流してしまった。よくわからないまま、にこにこうなずくなんてことはざらだ。苦手なまま放っておくからますますわからなくなるものかも。算数の問題みたいにね。

全面的に相手に合わせることが望まれていると思ってた。質問にそのまま答えることが相手を満足させるのだと思ってた。
でも実際は、そうではなかった。
会話とは相手のためだけにするものではないし、必ずしも質問に答えないといけないわけではない。答えたくない時は冗談言って、はぐらかしちゃってもいい。

誰とも一緒にいない方が気が楽だと思うことは多々ある。川や風とは、言葉なしに向き合っていられるから好きだ。

誰かと語り合うのも好き。
冗談を理解できないことが多いけれど、でも冗談を言い合う雰囲気は好き。
自分の心を、そのまましゃべれるようになったらいいな。

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