仮定法

ところで私は仮定法が好きだ。
仮定法を見つけるとちょっとうれしくなる。まるで私に見つけられるのを待っているかのように、文の中にさりげなく紛れ込んでいる。

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

Если бы не Соня, то всё было бы замечательно.

How would you feel if these were photos of your own family and friends?

…手話ではどう表現するのだろう。表情かな。

古文でもロシア語でも英語でも、仮定法や反実仮想の文は’しるし’を持っている。その’しるし’があることで、独特の響きが生まれる。

過去形や受け身や他の文法だって同じであるはずだけど、なぜか私は仮定法が好きなんだ。仮定法を読むと、ああ、仮定法だ、という感じがする。
説明になってないけど。

それってけっこう、変わったこだわりかもしれない。

文法が好きな人なんて珍しいだろう、ともわかっているつもりだ。文法の勉強なんて普通、退屈でつまらない。

だから、私が教師になったら、文法ばっかりの英語の授業はしないようにしよう、と心に決めている。

初め意味不明だった外国語でも、繰り返しているうちに言葉と意味が一致するようになる。言語が身につくあの感覚を楽しめるような、そんな授業を目指したい。

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