雨上がりの土

 

今日、思いがけないお客さんが来店した。
彼女は先月あたり、スタバで開催した手話イベントに来てくれた人だ。

わたしがコーヒーについて説明していると、しょっちゅう手を挙げて「このコーヒーはなぜ浅煎りなのにコクが深いのか」「この豆にはハンドドリップかプレスかサイフォンどれが合うのか」と、誰も聞かないような細かい疑問をぶつけてきた。

そして、イベントの終わりに「何か質問があればどうぞ」と振ると、見覚えのある手が挙がった。

「このイベントで説明されたこと、めちゃくちゃ簡単すぎると思います。初心者が多いので仕方ないと思いますが、もっと上級者向けの説明がほしいです。」

周囲がざわついた。とんだ度胸だ。「初心者が多いので」のくだりで周囲を思いっきり見回すわ、自分は上級者だと豪語するわ、とんでもないやつだ。

わたしは言った。
「すみません、耳が聞こえない方で、しかもコーヒーについてもっと詳しく知りたいという方なんて、かなり少ないのですよ。ニーズがないのでしょう」
かなり冷たい言い方をしてしまった。

彼女は表情をまったく変えず、「ふーん、ニーズねえ」とつぶやきながら座ってしまった。

 

そんな彼女が、わたしの働いている店舗に来たのだ。

「今日はどうしたんです?」

彼女は言った。

「ニーズがある人がひとりでもいる時点で、それはニーズがあるって言わないの?」

わたしはうなだれた。その通りだと思ったのだ。

「そうですね、本当にあの時は申し訳ありませんでした。気が動転していて、ひどいことを口にしました」

彼女は相変わらず無表情だった。

「クセのある豆は?」

「はい?」

「もう済んだことはどうでもいいの、それよりあなたは今仕事中。私の口にあう豆を探すことぐらいできるでしょう」

やっぱりとんでもないやつだ。

 

「どんなお豆がお好みで?」

「クセがある方が好き。深煎りは全部飲んだからミディアムのでよろしく」

「ああ、それならグアテマラですね…」

彼女はかすかに眉毛を曲げ、「グアテマラねえ」と呟いた。

「いいよ、それで。プレスで淹れて」

わたしはどう対応するのが正解なのかがさっぱりわからず、あっちこっちに目をやりながら頷いた。

抽出中のタイマーがセットされ、4分間わたしは気持ちの整理をすることになる。

 

「美味しいじゃん」

彼女は満足げに眉毛を曲げ、すこし笑った。

「グアテマラは雨が降ったあとの地面の風味がする、って言われているんですよ。意味わかんないって一瞬思うんですけど、香りをかぐとわからんでもないな、ってなりますよ」

わたしは4分の間に決めた"話すこと"をまくし立てるように話した。

 

「確かにぬれた土の味だ。なんかね、雨の日を思い出すね」

わ、わかってくれた!

わたしは感動のあまり、つい声に出して笑ってしまった。

「ですよね〜!!!」

おまけに手を叩いて笑った。やたらテンションが高い接客態度だ。

「ニーズに応えてくれてありがとう。次のシフトいつ?また来るよ」

彼女はすこしだけ笑顔を浮かべながら、帰ってしまった。

ああ、嬉しいなあ。ちょっと気まずかった出来事のことなんて、ほとんど話題に出ていないのに分かり合えた気がする。楽しかったなあ。次に紹介する豆を決めておこうっと。

“雨上がりの土” への5件の返信

  1. うわぁ、めちゃくちゃ素敵。2人とも素敵。こんな話読んじゃったら、次スタバに行った時グアテマラ注文してしまう…グアテマラデビューしてしまう…!そしたら思いっっっきり匂いをかいで、目をつぶって飲んでみたいです。

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