из Красноярска

次のバス停は…
「レーニン通り」
「プラスペクト・ミーラ」
「ホテル ‘オクチャブリスカヤ’」
「スリコフ美術館」
「オペラとバレエ劇場」
「映画館 ‘ルーチュ’」
「バスターミナル」
「東方市場」
「ルナチャルスキー通り」
「クルチャートフ通り」
「庭」
「大学」

バス停の名前を読み上げる声が、いまだに耳に残っているよ。もちろんロシア語でね。

クラスノヤルスクに住んでいた時には、よくバスに乗ったものだった。というより、街中での主要交通手段がバスだった。
森に面した街はずれに建てられた大学から、中心部まではバスで20分(道が混んでいる場合は30分以上かかることもざらではなかった)。座り心地の悪い固い座席にもたれかかっていると、ゆったりと時間は流れて、いつしか目的地のバス停にたどり着く。

車内を見まわしても、スマホの画面に見入っていたり、眠り込んでいたりする人は誰一人としていなかった。広々とした田舎町では、そういう習慣がなかったのかもしれない。あるいは、日本と違って、スマホや居眠りは公共マナーに反することだったのか。真相はどうだったか知らないけれど、スマホを見ない習慣のおかげで、思いやりの文化が守られていたと言える。おばあちゃんがバスに乗り込んでくれば必ず、誰かがさっと席を立って譲った。

予測不可能なタイミングでかかる急ブレーキや、壊れるのではないかと心配になるくらい乱暴に開閉する入り口のドアや、排気ガスで埃っぽい車内。日本では考えられないくらいにおんぼろバスとでこぼこの道路が、当たり前の風景だった。その中で私は確かに息をしていた。

なんでもない日常だから、すてきなんだ。
特別でなく、飾らない、当たり前のようにそこにある、空気のようなもの。
それについて書きたかったんだけど、やっぱり、書いても書けるようなものではない。

日本のどこかで、私はときどき思い浮かべる。あの道をこう行って、こう曲がって、あの通りを抜けて、その角を曲がったら。何度も歩いて体が覚え込んだ道順を、心の中でたどっていく。
不意に、クラスノヤルスクでの日々に戻りたくてたまらなくなる。目を閉じてまた開いたら、そこが、プラスペクト・ミーラやレーニン通りやスヴァボートヌィ通りであってくれたらいいのにと願う。

クラスノヤルスクの通りのひとつから出発して、旅の途中にいま私はいるんだ。
До свидания, Красноярск! と、別れを告げたあの日から、ずっと旅し続けている。いつか、帰るべき場所へと帰り着くまでの、いつ果てるともしれない長い旅。

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