なんでもいいから2000字書いてみよう。2019/11/20

クリスマスを控えたToys “R” Usのように

文章をなんでもいいから2000字くらい書いてみようと思った。何でそんなことを考えたのだろうか。もしかしたら、時間の無駄遣いとしか表現しようがないかもしれない。そうなってしまう可能性が十分にある。僕はそれについてしばし立ち止まって考えてみたが、まあ、なんとかなるだろう。というのも、僕はこの文章に関して、何も意義を求めていないのだ。とても正確に言葉を選ぶと、この文章は自己治療ということができるだろう。

自己治療?と僕はもう一度書いて疑問に思う。けれど、まあ、自己治療ということになるだろう。他者からの働きかけを必要とせずに、自らの力で何かしら不都合な状況を脱すること。ということだ。僕にいったい何の不都合があるというのだろうか。毎晩しっかりと睡眠をとっている。食べすぎと言えるほどご飯を食べている。たまにオナニーをする。十分に健康的だ。身体的に、どこからどう眺めても、僕は健康的である。

不都合な点というのは、僕の精神的な部分にある。はっきりと言って、文章をまったく書きたくないのだ。別に僕は文章を書かなくても飯を食べていくことができる。むしろ込み入った考え事しないほうが、僕は女の子にモテると思う。む、では、もう金輪際文章を書かないでいようか?と僕は僕に確認をしてみた。しかし、本人はやはり書くという手段をもっていることが、今後の人生によりよい影響を与えるのではないかと考えているようだった。しばし彼の言い分について検討をした結果、文章を書けたほうが良いだろうな。と僕は思った。別に、ガールフレンドがいらない!とうことではないよ。むしろ欲しいよ。希望的な観測かもしれないが、僕は文章を書く行為と、彼女を作る行為はどこかで共存できるはずだと信じているのだ。期待は薄いけれど。

ということで、僕はExcelの新規ファイルをPCの画面に開いて、しっかりと空白の、余白しかない、文章の可能性に満ちた画面を見つめていた。ふむ、なるほど、これは白紙のページである。それ以上でもそれ以下でもない。そうきっぱりと判断し、僕はキーボードにのせた指を引っ込めて、膝のうえに静かにおいた。そして腕を胸の前で組んで、徹底抗戦の姿勢をとった。こうなったらとことんやってやろうじゃないか。一度剣を振り上げたのならば、血は流されないといけない。19世のロシアの舞台作家がよく口にする言葉だ。正確に言うとピストルだけれど。

という感じで、僕は本当に文章を書きたくないのだなあと実感したのだ。机の上に白い画用紙があり、これで何か描いてください、と言わんばかりにペンが置いてある。人は余白を見ると、何かで埋めようという欲求、あるいは強迫観念が起こるらしい。マキシマムザホルモンのベーシストである上原さんは、体に余白があると怖いから、という理由で突発的に体にタトゥーを入れてしまうそうだ。最近はツアーで訪れた地域のご当地タトゥーを入れることにはまっているらしい。いや、朱印状集めをしてるおばさんじゃないんだから、やめなささいよ、などと口にしたくもなる。まあ、しかしどこでどんなタトゥーを入れようと本人の自由だ。僕が口を出す筋合いはないだろう。けれど、上原さんにはタトゥーを入れ始めた当時の目的を思い出してほしい。たしか、尊敬するバンドであるレッドホットチリペッパーズのメンバーの身体に掘られたものを自分の身体にすべて掘って、ひとりレッチリをしたかったんじゃないか。上原さんの右胸には、ベーシスト、フリーが入れているのと同じ円状のタトゥーがあり、右腕には2014年までギターをしていたジョンと同じタコのタトゥーが入っている。

ごめん、余白の話をしていたんだな。つまり、僕は自分に余白を埋めなければならないという欲求を呼び起こして与え、ショック療法的に文章を書かせようとしたのだ。が、先述した通り、よしだじゅんやの頑固なまでの「書くまい」という意志をより強くさせてしまったばかりか、徹底抗戦の態度まで取られてしまったのだ。僕の作戦は失敗に終わった。

ということで、新たな施策を求められた。考えた結果、僕が思いついたのは、なんでもいいから文章をかいてみなよ。ということである。「文豪の書き出し」という本があるように、多くの文筆家というのはすべての文章の中で、書き出しの部分に特に注力している。小説や映画でよくみる古いタイプの作家が「あー、書けない!こんなもの!」と言って原稿用紙をくしゃくしゃに丸めて壁に投げつけているのを容易に思い出すことができるだろう。あれって多くの場合がよりよい書き出しを求めて試行錯誤を繰り返している瞬間である。それくらい、書き出しというのはよくわからんが質を求められ、スラスラと書き進められるものではないのだ。僕は、この書き出しに伴うストレスが、僕を文章から遠ざけているのではないか。と考えたのだ。一度書き始めてしまえば、あとは無意識のうちに手が動き後から文章がついてくる。床の上に置かれた物体を押して動かすとき、最も力を必要とするのは動かし始める瞬間である。静的摩擦は動的摩擦よりも確実に大きくなる。これは物理の世界でよく知られたことである。そして、僕はよしだじゅんやに「なんでもいいから2000字書いてみなよ」と投げてみたのでした。

そろそろ2200字に至りそうなのでこの辺にしようかな。思惑通り、スラスラと文章が生まれてきた。頭の中にイメージが浮かび、意志の持たない機械のようにただ手が文章をかいていくだけだ。クリスマスを控えたToys “R” Usで店員が無心におもちゃをラッピングしているようなものである。

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