先延ばしにする人はいずれ死ぬよね。

こんにちは。よしだじゅんやです。

最近はもっぱら布団の中でユーチューブを見て生活しています。まじでなにも生み出していないし、なにかの役にも立っていないので日本の癌みたいになっています。ということで文章を2000字くらい適当に書いてみよう。というやつをします。簡単なルールは

文章を書き終えるまで見返さない

意義を求めない

誤字脱字以外は書き直さない

とします。ではいきます。

と、いってみたもののまじで何も書くことがないのですね。正確に言うと、「書くレベルまで頭のなかで思考が深まっていない」という状況です。常日頃気になっていることはあるんですが、見切り発車的に大事なカードきって、微妙な結論になってしまったら百害あって一利もないですよね。なので、なるべく意義のないどうしようもないものが湧き出てきたら嬉しいなと思っています。

 

不思議なんですが、なんとなく、僕は「この仕事はこれくらいの労力でこの時間で終わるだろうな」という予想をする精度がかなり高いです。これはこのくらいの力でやると3時間くらいかかるな。というのが仕事の内容をみると感覚的にわかったりするのですね。それが論文の提出みたいなけっこう重たくて、読みが難しそうなものでもなんとなくわかります。

 

なんでこの話をしたかというと、論文の提出があと10日後くらいに差し迫ってきたからです。Twitterのタイムラインを見ていると、結構修士の方も含めてやべえやべえと慌てふためいていますよね。たぶん、状況として、いちばんあわてなくてはいけないのは僕だと思います。入山してまだ歩き始めたばかりみたいなところなので。しかし、今日も今日とてユーチューブを見ていたのですね。これはたぶん先ほどの能力のせいだと考えています。

 

これはちょっとパラドックスも含んでいます。最後の最後まで仕事を先延ばしにしてしまう理由が仕事の量を予想できるからだとすると、仕事の量を予想できるのは今まで最後の最後まで仕事を先延ばしにしてきたから。ともいえるからです。なんとなく想像がつくと思います。夏休みの宿題を最後の最後までためて8月31日にあせって宿題を片付けるひとの例はめちゃくちゃ有名ですね。僕はまさにあのタイプです。このタイプを「先延ばし脳」と名付けましょうか。この先延ばし脳の人というのは、まじで習慣的に作業をしたり、計画を立てたりというのが苦手な人種です。その分、残された仕事を瞬間的な筋力でががっと片付けてしまうという人たちですね。その経験がさらに仕事量を読む精度を高めるわけです。

 

で、こういう人たちは、人間の素性として一定数必ず存在しているのですが、年齢とともに淘汰されていきます。理由はシンプルで、仕事をこなすのに求められる量と自分が発揮できるパフォーマンスが釣り合わなくなっていくからです。ので、結果として先延ばし脳の人たちがしかたなく仕事をこなそうとすると、結果として長期的に作業をせざるを得なくなっていくのですね。フルマラソンがしんどくなってきたから、しかたなく毎日ジョギングに転向するみたいな感じです。そんな感じで年齢とともに先延ばし脳の数は自然と減っていきます。

 

で、ここまで話しておいてあれなんですが、僕は先延ばし脳の生き残りだったりします。毎日ジョギングするくらいなら、直前までだらだらしてフルマラソンを気合で走り切ります。当然なんとかならなくてはちゃめちゃに怒られたり、だらだらしている期間に不真面目なやつだと判断されたりするのですが、四半世紀スタイルを変えずに生きてきたのは、それなりに僕の身体に適した生活であること、瞬発的な能力はそれなりについてきた、ということが言えるような気がします。

 

もちろん、どんな人にも選手生命というものがあります。ボクサーは20代後半、水泳選手は30代前半、マラソン選手は30代中盤とか言われたりしています。瞬間的なパフォーマンスには寿命があるので、終わりを見据えておかないとその後めんどくさいことになるかもね。などと思っているのです。と、考えると、40歳、50歳とかになってまだスポーツの世界であったりビジネスの世界でやっている人は、めちゃくちゃすごいですよね。おそらく彼らは、僕みたいにさぼりたいからではなく、自分のパフォーマンスを維持するために、習慣的な努力をしているのですね。え、それもう習慣的かつ計画的な人じゃんと驚いたりします。高齢になって瞬発力を維持するには、習慣的な人間になる必要があるポイです。それ、僕の先延ばし脳の発想的に本末転倒な気がします。僕は基本ダラダラしたいだけなのですから。

 

と、ここまで書いて完全に理解したのですが、よほど才能がない限り、先延ばし脳の人は年齢とともに淘汰され、ほぼ絶滅するのでしょうね。先延ばし脳が生きていくには習慣的努力をするしかない。というパラドックスが存在するので。

僕の現在の目標は「がんばらずに生きる」です。がんばらない、というのはなんもしねえということではなく、自分のやりたいことと、仕事を最適化したいということです。「あ、俺努力してんなー」と思わずにゴリゴリ作業をしたいということですね。先延ばし脳だけの発想ではいずれ死ぬので、いつか死ぬまでに、自分が努力とも感じないフィールドを発見しよう。というのが現在の僕の作戦です。そしたら気持ち的には「俺はがんばらずに生きたなあ」と思って死んで生けるような気がしています。それってめちゃくちゃ幸福な生活ですよね。

 

今日も読んでくれてありがとう。AIで人生を最適化したい。という話、NHKの最終面接で理事に話したらめちゃくちゃ怒られたのですよね。「漁師の家系の人間が、花屋をやれと言われたら従うべきだと思うか?」と訊かれたのです。答えは迷うことなくYESです。だって頑張らずに生きていけるんだったら幸せですよね?

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