私たちは歴史の転換点にいる

高校の先生が夢に出てきた。といっても直接お会いすることは叶わなかった。
私と友達は大学生で、高校の先生の講義に向かっていた。大学なのか高校なのか、ややこしいね。つまり、私たちが大学に進学すると、高校の先生は大学の教授に転向したということだ。わーお。

夢の世界でも大学は広い。初日の授業、教室を探すのに迷ってしまう。その時、目の前に大きな木を見つけた。マニラに生えていたみたいな、ツタが垂れ下がる南国の木。その裏には階段があって、木を上っていけるようになっている。
私は階段を上った。おや、こんなところに体がすっぽり収まるくらいの空間が。
頭の中では早く授業に行かないと、と考える。友達は無事に先生のところにたどり着けたみたいだ。それなのに私は、木の中にじっと居座り続ける。

なんだろうこの、意味ありげな夢。
友達というのは、マニラに一緒に行く予定だった人。私と同じ誕生日に生まれ、同じ高校を卒業し、別々の大学に進んだ。私より一足先に社会人になった。
だらだらと学生で居続けていることに、ひょっとしたら私は引け目を感じているのかもしれない。今から行っても遅刻だなあと思うと、木の中にでも引きこもりたくなってしまう。

高校の先生を懐かしく感じる。
教育実習は大抵自分の母校に行くことになるのだけど、私はろう学校を希望したため、母校には行かなかった。もしろう学校を選ばなければ、私は先生と再会を果たしていたのだろうか。
私はいい先生に恵まれていた。
と言ったら、友達はきっと眉をひそめるかもしれない。愚痴ばかり聞いていた記憶がある。あの先生が嫌い、この先生は嫌だ…。

先生に対してなかなか手厳しい基準を持っていた友達も、世界史の先生のことは大好きだった。
臨場感たっぷりに、歴史上のドラマを語って聞かせてくれた。世界史の先生の手にかかれば、生米を噛むみたいに味気なかった暗記科目は、みずみずしくふっくらと湯気を立てるごはんに変わる。それに付け合わせるは、歴史上人物の名言やエピソード。毎回違った素材を絶妙に味付けして出してくれる。漢の皇帝もヴァイキングの王様もケネディ大統領もみんな、ぬか漬けや粕漬けみたいに一癖二癖ある、生身の人間だった。
話しながら先生は、人名や用語を黒板に書きつける。一言も聞き漏らすまいとプリントにせっせとメモした。白いチョークで強く書かれた名詞は、授業後には消されてしまう。けれども世界史の授業は私の心に何かを刻み込んでいった。荒野に石碑を立て、波間に碇をおろすようにね。
教科書の言葉をひとつひとつ辿ればドラマが浮かび上がる。それは、ずっと先の未来まで忘れられてはいけない何かだ。今私が生きているこの瞬間も歴史の延長線上に確かに位置していて、この教室の中で歴史が語り継がれている…。

世界史に限らず、どの先生も教科の専門知識を伝えようとしてくれたと思う。けれども熱心に耳を傾ける生徒は少ない。やる気のない聞き手を前に、それでも熱意を失わないで説明し続けるのは難しい。
こんなことを言うのは恐れ多いのだけど、世界史以外のほとんどの授業で私は退屈していた。
先生はわかりきったことを聞く。黙りこくった40人の中、答えるたった1人に重圧がのしかかる。求められている答え以外に一言でもしゃべったらアウト!という雰囲気。
息苦しい空気の中で、50分間がとろとろと少しも進まない。

ここ1年間考え続けていたことがある。どうしたら主体的で対話的な授業を実現できるのだろう。
「主体的、対話的で深い学び」を、新しい学習指導要領はこれからの授業に求めている。先生がただ一方的に説明するのではなくて、生徒が自分たちで考え、コミュニケーションすることを通して学んでいく授業。ある先生は、「生徒が話す時間>先生が話す時間」という図式を目指している、と仰った。
実際に小中学校の授業を見学させてもらった。
小学校の外国語の授業を見て私はショックを受けた。小学生がこんなにしゃべれるなんて!子どもたちは音楽に合わせて英語を話す。「Tell me your best memory!」先生は子どもから言葉を引き出す。
中学校でも。お互いに発表を聞いてアドバイスを伝え合う。にぎやかな授業風景は、私の記憶している学校の授業とは似てもにつかないものだった。
主体的。
喉に刺さった魚の骨のように、ちくちくくる言葉だ。主体性のない私に、主体的、対話的な授業などできるのか。
そもそも、主体って何?
人の言にただ追従することでもなく、人の気持ちを否定することでもない。自分の中で納得する答えを選ぶこと?

1年、2年大学に居座り続けた分、それだけ考えを深めるための時間があったはずだ。
私が目指したいのは、第一に楽しい授業だ。それからやっぱり、生徒がたくさんしゃべる授業。言いたいことを英語で言えるようになる経験、言葉が伝わったり伝わらなかったりする経験を授業でたくさんできるように。
言葉の違い・コミュニケーション方法の違いを超えて、どうしたらお互いに理解し合えるか。私自身常に答えを探し続けている。少し上手くいったと思うときもあれば、失敗するときもある。それを楽しいと思えたなら、コミュニケーションの壁は消える。私はそう考えたのだけどね。
対話が足りていなかった気がする。どうしたらお互いが本当に納得するのか、見つけるための対話が。

「私たちは歴史の転換点にいる」と語った先生の言葉を思い出す。先生の世界史の授業も変わってしまうのだろうか。
もうあと10年経てばたぶん、「主体的、対話的で深い学び」も別のものに取って代わられる。さてどうなることやら…。
どんなに時代が変わっても、その時自分が「これだ!」と思うことしかできない。正解なんてない。

“私たちは歴史の転換点にいる” への4件の返信

  1. 私も最近主体性を見失っているからとてもタイムリーだ・・・。
    でも私、ちまきちゃんと話してて楽しいんだよね。「どうして?」「それはなんで?」って深掘りしてくれるから私の中でどんどん言語が生まれて「自分ってこんなこと考えてたんだ」って発見することが多いよ。とても。
    ちまきちゃんらしさって、こういうことなんじゃないかねえ。信念がない、みたいなことをちまきちゃんは言うけど、逆にそれがいい方向に転ぶこともあると思うんだよね。「ちまき先生に知って欲しい!わかってほしい!」って一生懸命話したくなっちゃうと思うよ、みんな笑

    1. ななこはスポットを当てるのが上手いねえ!!いつも私が気づかなかった視点から褒めてくる笑
      私と話していて楽しいと言ってくれたのが、とても自信になるよ!ありがとう。

  2. 学校がわるいっす。という言葉をぐっとこらえて頑張ってくれと思う。
    僕の知り合いの教員、まじで全員から諦観のオーラを感じる。学校が嫌ならなんで辞めないの?って聞くと答えを濁されたりする。
    あれ、なんなんすかね。学校で頑張るには無責任さが必要な気がするなあ。

    1. 私はいい先生に恵まれていた、と言った私は、諦観オーラを見ないふりしていたのかも。なんてことを思いました、、

      教員の仕事はブラックだと言われます。労働環境が改善されなければ、いい教育が実現できないと思います。

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