雑念

おかしいのは、昨日の夕方走っていた時からだった。

夕食後、ジョギングに出た。今までにないほど好調だった。初めは。
息も切れない。どこまでも行けそうな気がする。調子に乗っていつもより距離を伸ばした(と言ってもたいした距離ではない)。
田んぼ道をぐるりと走り(今の季節は稲ではなく一面麦畑だ)、そこから線路沿いまで戻る。この辺で歩きに切り替えよう。そのつもりでいたのだけれど、私は走るのをやめなかった。どこまで行けるか試してみたい気持ちになっていた。
その結果、このザマだ。

ストレッチは十分やった。一晩たてば治るだろう。高をくくっていたら、今朝はいつもの半分走ってギブアップした。
右足に、いやな感じ。もう少しで足の折れてしまいそうなガゼルみたいに、恐る恐る足を踏み出す。歩けなくはない。

去年、足首を捻挫した時のことを思い出した。確かその前日も同じ道順を走ったのだった。
あの辺りにはひょっとして、何か足に悪い憑き物でも寄ってくるのだろうか。
そんなわけないよね。

今日もまた、懲りずに私は同じ道を歩いている。歩くのは平気だ。走らなければ何も差し障りない。
何人もの大学生や高校生が走っていくのとすれ違った。
こうしてとぼとぼ歩いていると、なんだか、一層歳をとった気分だ。

歩きながら、夜の音に耳を澄ませる。すぐそばを車が通っていく時の低いうなりや、耳元を風が吹き抜ける音。
聞こえていると思っているだけで、実際には音の振動などそこには無かったりしてね。私が音として認識するのは、所詮脳の勝手な想像なのだ。

足を踏み入れたところで遮断機が降り始めて、慌てて外に出た。私の耳には、踏切の音が聞こえていない。
消防車のサイレンに気づくのも遅れてしまう。緊急を知らせる赤いランプが見えるまで音に気がつかない。
一方で、大音量でカーステレオをかけている車はすぐにわかる。低いドラムのリズム。
「カンカンカン」という踏切の警報や、サイレンの代わりに、カーステレオを鳴らすのはどう?賛同してくれるのは、高音が聞き取れない一部の難聴者だけだろうか。

歩きながら、時々空を見上げる。
小さな星がひとつ、ふたつ。空を覆う、かすみの具合によるのだろうか、ある時は明るく、ある時は暗い。

夜の明かりは昼間とは違う部分を浮かび上がらせる。
例えば、玄関ポーチ。いろんな色の、いろんなデザインのドアがある。いくつものドアの前を私は通り過ぎる。
一つのドアが開き、それからゆっくり閉じていった。奇妙なことにドアノブも何もない。鍵穴さえも。カードキーみたいにタッチ方式で開く仕組みなのだろうか。

あるいは、マスクをかけた犬。それを見つけた時、おもわず笑っちゃったな。
たぶん使用済みマスクだろうと思う。このご時世、マスクは貴重だ。1枚たりとも無駄にできない。陶器の犬に新品のマスクをかけておく人がどこにいる?
通りを向いて行儀よく座る犬の足元には立て札が置かれている。
「グッピーの赤ちゃんプレゼントします」
確か前に通りかかった時には「犬に餌をあげないでください」と書いてあった。
粋なことをなさる。こういうの、嫌いじゃない。

歩きながら、今日覚えた英語の慣用句を頭の中で繰り返す。
our of the blue – 突然に
「青天の霹靂」って英語から訳された言葉なのだろうか。
long shoot – 無理なお願い
go bananas – 頭がおかしくなる
go bananas なんて一度も見たことないんだけど、本当に使われてるのかなあ。
Staying home all day almost made me go bananas. (一日中家にいたら頭がおかしくなっちゃいそう)
使い方こんな感じ?

歩きながら、昨日読み終わった本のことがずっと頭の片隅にあった。「介護殺人」。
読んでいて心が痛かった。悲しい事件が今もどこかで起きていると思うと…。

行き場のないやるせなさから逃れようとするみたいに、私は日の暮れた町を徘徊する。
外の空気、外の明るさ、外の物音。見知った道をあてどもなく歩き続ける。でも心は晴れない。
狭い街の中をいくら歩き回ったところで、結局のところ、どこへも行けない。コロナウイルスがなかったとしても同じことだ。
私はどこにも居たくないんだ。

昨日の夕方の、あの感覚はいったい?
どこまででも行けると思った。それは幻想?
無性に走りたい気分になる。走っている間は余計なことを考えないでいい。

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