平和公園

朝6時過ぎ、
もう既に日は高く昇っていて、森の空気は薄く明るい靄がかかっている。歩き出すとじんわり汗ばむ、むしむしした夏の空気だ。少しでも涼しい道を選びたい。私は木陰に伸びる脇道に足を踏み入れる。
鮮やかな緑色の苔が石段の表面を縁取っている。人が道をつけてから一体どれほどの年月が経てば、こんな風に森の一部として溶け込むのだろう。
そこを今日、私は初めて歩いた。

のど飴の袋くらいの大きさの蝶が2匹、私の鼻先をかすめていく。白い斑点のある翅と金茶色の翅が朝靄と木漏れ日の中でひらひらひかる。別の世界からやってきて、ほんの一瞬だけ姿を現したみたいに神秘的な存在だった。手を伸ばせばさわれたかもしれない。

分かれ道にさしかかる。どっちを選んでもよかった。今日の私は目的地を持たない。まだ歩いたことのない道を探検することが目的だったから。
道を知らないでいた時はどこまでも広いように思えた森も、一度歩いてしまえばそれほどでもなかったことに気づく。苔の生えた道を辿って道路に出るまではあっという間だった。
ひっきりなしに車が出入りしている。

丘を埋め尽くす暮石群が見えてくると、いつも決まって思い出すんだ。
リトアニアに「十字架の丘」と呼ばれる場所がある。雪の積もった小高い丘の上を大小様々な十字架がびっしり覆っている。ユダヤの星、ロシア正教の、足に短い横木の入った十字、背の高い堂々たる十字もあればブレスレッドにするような小さなものも。
真夏の日本の暑さの中で雪景色を思い浮かべてしまうなんておかしな話かもしれない。けれども、とてもよく似ている。
お盆の近づくこの時期、平和公園は墓参りに来た人で活気付いていた。でも、普段はもっと静かで穏やかな場所なんだ。誰もいない時でさえ、平和や平安を願う祈りがずっとそこに残り続けているみたいに。

夕方に、暑さが和らぐのを見計らって再び私は外を歩く。夜7時、もうすっかりくらい。日が短くなった。
レンガ敷の道に街路樹のぎざぎざした影が音もなく擦れる。トウカエデの葉が風に揺れるたび、街灯の明かりが眩しく見え隠れする。吹く風はほんの少しだけ涼しい。夏の終わりが見えてきたような気がする。

闇に沈んだ暮石の丘は空の色よりも真っ暗だった。その中に私は鬼火を見る。ホオズキのような橙色の光が滑らかな石の表面にちかちかひかる。よーく見るとそれは、ずっと後方の信号機の点滅を反射していただけなのだった。
この世ならざるものに想いを馳せてしまうのは、どうもいけない。

私の足は平和堂を目指す。階段を登りきった上にそびえる、とんがり屋根の立派な建物。あといく日かしたら、このお堂の中に収められている観音像の姿が公開されるはずだ。
今日、平和堂の扉はぴったり閉じられて中は見れない。
「日本と中国が戦争中、観音像が交換されたんだよ」
名古屋から南京に、南京から名古屋に。戦争が終わって平和になるようにと、そんな思いで観音像が送られたのらしい。
その話を、ある人が私に聞かせてくれた。語り継がれなかったら歴史は忘れ去られてしまうんだなあ。

時々私は考える。空からはどんな風に見えるんだろう。
飛行機の音はいつも唐突にやってきて、見上げれば、自衛隊の飛行機がヘリコプターが横切っていく。この近くには自衛隊の駐屯地がある。平和公園の上空がルートに決まっているのだろう。夜昼となく本当にしょっちゅう行き交う航空機たち。轟音を立てて通り過ぎる、あの機内にいる人の耳には平和の祈りが届かないかもしれない。

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