書くことだけが、今日も私を救い出してくれる。

思ったことを言葉にするコツは、タイミングを逃さず口に出すことだ。

「右側の髪の毛ばかり気になっていじってしまうんです」
ああ、言えた。ここ2年くらいずっとそれを打ち明けたかった。ほんと取るに足らないようなことだけど、なぜかいつも言えなかったんだよね。
美容院で髪を切ってもらう間、私はほとんど言葉を発しない。切ってくれるのは、話しやすい雰囲気の美容師さん。私が聞こえないことを知っていて、筆談で対応してくれる。だから遠慮なく言いたいことを口に出したらいいのに、それがめちゃくちゃ難しい。
話そうとすると言葉がのどでつかえてしまう。まるで呪縛にでもかかったみたいに。
お腹を上にひっくり返された状態の犬が固まってしまうところを見たことがある?あんな感じ。椅子の上で白いカバーをかけられると、私は言葉の自由を失ってしまう。
話すっていっても本当になんでもないことだ。「切るの早くなりましたね」とか、「今日はお客さんが多いんですね」「その服すてきですね」とか、そういうこと。カットの注文に関すること、例えば「もうちょっと短くしてください」だったら言える。「ありがとうございます」や「すみません」や「お願いします」は少しも難しくはない。口に出せないのは、どうでもいいようなこと。言っても言わなくてもたいして変わりないようなこと。

ここのところ私は文章を書いている。長い長い手紙のような文章だ。あれこれくどくどと書きつづるせいで長くなってしまったのだけど、その手紙の伝えたいことはたったふたつの言葉に集約できるだろう。つまり、「ごめんね」と「ありがとう」。
誰かに伝えるつもりで書いているのではないんだ。言いたいことがあまりにもたくさんだから、全てを伝えきる自信がなかったのだろう。ただ、今の私がどう感じているかを文章の形に残しておきたいと思った。書かずにはいられなかった。
それでも、「ありがとう」と「ごめんね」くらいはどうにかして伝えるべきだよね。ああやっぱり、文章なんて書き始めるのではなかった。書いてなんかいるから言えなくなる。

今日も私はお風呂に入りながら、つらつらと考えていた。今日のお昼からずっと気になっていることがある。
「例えば、ホールケーキを切り分けてみんなで食べるとしよう。Aさんはさっと一切れを取った。嬉しそうなAさんを、Bさんは黙って見つめている。人は7人いるのにケーキの上のいちごは6個だけ。1人だけいちごなしのケーキになってしまう。そのことがAさんには見えていないんだ。
Bさんは優しいから、きっと何も言わないでいちごなしのケーキを選ぶんじゃないかと思う。私はそのことを知っているけど、何も言わないし何もしない。それでいいんだろうか。」
っていうことを悩んでいるんです、と誰かに話してみることを考えていた。
うわ、変な文章になってしまったな。つまり、悩み事をどうやって打ち明けようかとシミュレーションしてた。自分の言葉はもちろん、話した後の相手の反応なんかも細かく思い描いてさ。
そんなことして何になるというんだろう。

タイミングを逃してはいけない。
思ったことをそのまま。あれこれ考える暇を与えないこと。話すと同時に考えるんだ。
わかってはいるのに、何度も何度もタイミングを逃してしまう。つかみ損なう。数多くの、言えずに終わってしまった言葉たち。あの時それを言うべきだったのに。そんな失敗ばかりしている気がする。やっとのことで口に出せたとしても、もう手遅れだ。

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