普段考えないでいること

昨日私は、死ぬことについて考えていた。自殺願望があるわけではなくて、映画と本の影響でぼんやりと考え始めた。

テレビをつけたらたまたま「Fukushima 50」が映っていた。いつ原発が爆発するかと恐れおののきながら、結局最後まで見てしまった。
死を覚悟して原発に立ち向かっていく彼らは、娘や妻や家族のことを最後に思い浮かべる。大切な人を残していかなければならないから、死にたくないんだな。と私は考えた。まだ命が続くのなら一緒に過ごせたはずの時間が失われる。後悔やできなかったこと、やり残したことがある。だから死にたくないんだなあと思う。

私は自分の家族のことを考えた。先週実家に立ち寄って、会ってきたばかりだ。3か月ぶりに顔を見た父は、「元気か」と私に声をかけた。
もうそれが最後だったとしたら?
そんなことを考えていたら、急に切なくなってしまった。

妹にも3ヶ月間、会っていないことになる。
新しい年が始まり、私は誕生日を迎えたばかりだった。「何歳だっけ?」「25になってしまったよ」というやり取りの後で、私は質問した。
「何歳まで生きたい?」
なぜそんなことを聞いたのだろう。
「いますぐ」
というのが妹の答えだった。もう十分に生きたと、3つ年下の妹は言う。
そうだよねえ。
私も、妹と同じように考えていた。
これ以上生き永らえたとして、いったい何になる?生きる意味なんてあるの?
「生きていくのにはお金がかかる。面倒くさい」
そんなことを言って欲しくなかったけれど、妹の言葉と同じものが、私の心の内にも多少ある。
お金に困っているわけではない。お金の心配がなかったとしても、生き続ける限り、あれやこれやと悩みは際限なく生まれ出る。面倒くさいことに変わりない。
普段はそんな後ろ向きなことは考えないんだ。なるべく前向きに毎日を生きようとしている。だって「面倒くさい」なんて言っていても、どうしようもないじゃないか。
「10年後、20年後のあなたに会ってみたいな」
妹が生きるのをやめてしまったら嫌だから、私は未来を口にする。そうして何かを約束できるわけでもないけど。
私にも生きる意味などわからない。でももう少し生きていたっていいかと思うんだ。後になってわかるようになるかもしれない。こうやって生きていることにも意味があるんだって。

昨日は映画を見始める前、「海も暮れきる」を読んでいた。尾崎放哉が病気に苦しみながら死ぬまでの8か月間を書いた小説。
放哉は死ぬのを恐れていた。肺結核の最期は、息ができなくなり悶死すると言われる。そんな悲惨な死に方は誰だってしたくはない。
彼が救いに感じていたのは、海だった。酒を飲んで海に入ればそれだけで死が訪れる。そのために小さな島の庵を死に場所として選び、海をそばに眺める生活を始める。
でも結局、放哉は最後まで生ききることを選んだ。体が衰えて海まで歩いていくことが困難になった、と小説には書かれていたけれど、それなら歩けるうちに入水自殺を図るべきだった。一緒に句作を行なっている知人や後輩に無心をしてまで、庵での生活にしがみついていたのはなぜ?
句作を続けることに、彼は生きる意味を見出していたのだろうと思う。布団から起き上がる体力がなくなっても、筆を取り句帳に句を書き連ねた。

咳をしてもひとり

入れ物がない両手で受ける

そして希望を持ち続けた。
友人が訪ねてくること。知人に出した手紙の返事が届くこと。別れた奥さんが仕事で成功して、いつか自分を迎えにきてくれること。咳止めの薬や注射やうがいが効果をあらわして、病気が治ること。春が来ること。暖かくなって、体が回復すること。お遍路さんがやってきて、まとまったお金が入ること。
本当に小さなことなんだ。昨日は粥が喉を通ったけれど、翌日便秘に苦しんだとか、庭先の水仙からいい香りがしているとか、木瓜が花を開き始めたとか、そういうこと。毎日は楽ではないけれど、まだ命が続くなら、もう少し生きてみようかという気持ちになる。

「2021年の目標は?」
目標など何もないという妹に、趣味を持つようアドバイスしてみた。新しいことを始めてみたらどう?
私の目標はたくさん絵を描くこと。絵でも文章でも何でもいいけど、自分にかけるものをかく。生きるためにかく。
10年後、20年後の妹に会うという希望を頼りにしているのは、本当は私の方なのだ。

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