リュウがいることが当たり前の日々⑥

第1回パネル責任者会議はカフェで行われた。
駅前の、シフォンケーキが美味しいお店だ。しかしまだ一度もシフォンケーキを食べていない。飲み物を選んでいるうちに肝心のケーキのことを忘れてしまうって、あるよね。

クラスメイトの桜木くんにパネルデザインを依頼したけれどもいい返事は得られなかった、とわたしは美紅先輩に報告した。プランAが失敗したら、プランBを用意しておくものである。わたしがバッグから取り出したのは、写真の入った封筒。
「ええっ!さつき、なんて…」
美紅先輩は言葉を途切らせた。感激のあまり言葉をなくしてしまったのか。あるいはお粗末な被写体がお気に召さなかったのか。食い入るように写真を見つめる表情からはどちらともつかない。空白が長くなるとともに、叱責が飛んでくるのかとドキドキしてくる。
「なんて、有能なんだ」
ほとんど諦めかけた頃、続きの言葉が発せられた。
ここまで仕事のできる後輩だったとは思わなかった、と美紅先輩は言った。
「なんていうか、いつもたらたらボールを追いかけている姿からは想像できなかったというか」
たらたらボールを追いかけているというのは、わたしの部活での様子らしい。その通りだから返す言葉もない。ラケットを握っても空振りしてばかりいる。真面目に練習に参加し、しかし腕前をあげることはない。部長から見ればわたしは、テニス部の中で一番パッとしないメンバーに違いない。
「桜木くんに頼むまでもないじゃん!これ、そのままデザインにしてしまえばいい。一体どうやって作るの?こんなにリアルな画像」
「作ったわけではなくて、写真を印刷しただけです」
美紅先輩が手に持っているのはリュウの写真である。桜木くんにお願いに行った美術室からの帰り、わたしはリュウに頼んでスマホのカメラを向けた。パシャリ。
画面に想像上の生き物の姿が写し取られた。プリンターから出てきた紙の上に、青緑の体と赤い手足が目の覚めるような鮮やかさで印刷された。それでもまだわたしは確信を持てずにいた。
カメラで撮っても、カラー印刷されても、わたし以外の人の目には何もないように映るのではないか。桜木くんはリュウの姿が見えなかったし、鱗に覆われた体に触っても感じることができなかった。
リュウの言う「溶け込む魔法」にはどこか胡散臭いものがあった。わたしの頭の中で都合のいいように説明付けされていたのではないか。テレパシーでしゃべるリュウなんて、本当は存在していなくて、全てはわたしの想像なのではないか。
プリントアウトした写真を美紅先輩のところへ持って行ったのは、それを確かめたかったのもある。そうでなければ、ここまで熱心に、有能なパネル責任者として働いたりなんてしない。
「ご注文は何になさいますか?」
店員の声が割り込んできた。子どもなのか大人なのか、男か女かもわからない、抑揚のない声。
おや、と思って見ると、そこにはリュウがいるのだった。赤い指の間に不器用そうにペンを持って、伝票にメモを取る姿勢で待っている。
美紅先輩が飲み物を選ぶ間、わたしはじっと彼女を観察した。毛の先ほどにも動じるそぶりもなく、メニューを見て注文する。
「アイスココアと、さつきは何にする?」
なおも黙ったままでいるわたしに、店員が尋ねた。
「ほうじ茶ラテはいかがでしょうか?」
「ほうじ茶ラテ、覚えたんだね」
リュウに向かってわたしは言った。
「うん」
「バイト始めたの?」
「バイトをやってみたかったんだ」
リュウはぱちり、と片目をつぶった。ゆらゆらとひげが揺れている。なんだか楽しそうに。
「知り合い?」
美紅先輩が尋ねる。わたしは、彼女が手にしている写真を指差した。美紅先輩はその時初めて気がついたみたいに、写真とカフェの店員を見比べた。指名手配犯のポスターを持って間違い探しでもしているんじゃないかってくらい念入りに、何度も交互に眺める。その顔にゆっくり微笑みが広がった。
「本物だ!」
「はい、本物です」すまして答えるリュウ。
「つまり、モデルがいたってことなんだね」美紅先輩はようやく写真とリュウを照らし合わせるのをやめた。それから納得したようにひとつ頷いた。
「ところで、なんでタンポポなんかくわえてるの?」
写真を指して美紅先輩が尋ねる。
モデル本人が答えた。
「本当はバラの花がいいってさつきは言うんだけど、あいにくバラが手に入らなくて。そこらへんに生えていた花で代用したんだ」
ケチくさいかな、なんてこぼすリュウに、わたしは言ってあげた。
「タンポポでも様になるってさすがだよ」
しかしながら、美紅先輩は首を振り、撮り直しを主張した。
「さつきってばセンスないなあ。背景もあれだし。何この灰色は?市役所の前で撮ったの?もうちょっと景色のいいところで撮ろうよ」
容赦ないダメ出し。
「それに、隣のこの銅像は何?」
美紅先輩が指しているのは、青く塗られた魚の像。タンポポをくわえてポーズをとるリュウの隣で、赤い口を開けた鯉が鎮座している。
それこそは、プランBが失敗に終わった場合に備えて用意しておいたプランCだった。市役所の入り口の前で鯉の銅像と並んでリュウの写真を撮ったのだ。鯉の体はうまいことに青色をしていた。もし美紅先輩の目に写真のリュウが見えなかったら、私は鯉の銅像をパネルのデザインに推したらいい。我ながら、周到に用意されたプランだ。
「鯉が滝を上ってリュウになるという伝説があるじゃないですか」
「本物のリュウがモデルになってくれているんだからいらないじゃない」
どうやら鯉の出る幕はなさそうだ。
美紅先輩は、リュウにバイトが終わる時間を尋ねている。
「夜の9時まで働くの?初日から頑張るね」
ありがたいことに撮影は別の日ということになった。そんな時間まで待っているなんて冗談じゃない。

疑念は晴れた。リュウは実在する。
しかしどこか、「おかしいなあ」という感覚が残るのだった。なぜリュウは美術室に現れ、カフェでバイトをしているのか。嘘くさいコメディみたいに、できすぎた偶然が続いている。それとも、わたしも美紅先輩も、同じ夢を見ているのだとしたら?
テーブルを拭き、水を運び、注文を取り、テキパキと店員の仕事をこなすリュウ。こんなにも当たり前のように実在していることに、かえって疑念を持ってしまう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。