次なる段階に到達したようだ。つまり、何も見ないで描くこと。
これまで私がやっていたことと言えば、単なる模写でしかない。
描きたいものが私の中にはあった。それは、森や池や空。お弁当とか自転車。最近ようやく人の絵を描き始めた。
題材は撮った写真の中から選ぶ。物体の配置や背景や影や色は全てもう既に、写真の中に存在している。ただその通りに真似したらいい。
と言ったらなんだか簡単に聞こえるけれど、「うまいうまい」と褒められる条件は、本物とそっくりであることなのだ。そして実際、何かに似せることは難しいことではない。
難しいのは、何もないところから何かを作り出すこと。
小説を書くのもそうだよね。日記を書くことは簡単なのに、フィクションを書くのには骨が折れる。「こんなふうに書きたい」というイメージが、書かれるまではっきりとした形を持たないからだ。
今日は思い切り自由に絵を描こう。鉛筆で下書きなんかしない。心の赴くままに色鉛筆を走らせる。
本当に何も考えなかった。完成図もイメージしなかったし、全体のバランスも考えない。稲妻をのつもりだったギザギザの線はいつしか山に変わった。最初横向きで描き始めた紙は、気づいたら90度回転していた。
計画性のない、不恰好な落書きに終わるだろうと思っていたけれど、なんだか様になってきてる。落書きに夢中になっているって不思議だ。真剣に遊んでいる。今やっとわかったよ。こういうのを「がんばらない」って言うんだなあ。
上下斜め。ぐるぐる紙を回しては次を考える。本当に芸術的センスのある人なら、考えるより先に手を動かすのだろう。でも今の私には何も考えずに描くことは難しいみたいだ。
何も考えなくていいのにね。後先考えずに塗ってしまえ。天地が逆さまになるような大胆な加筆が行われるかもしれないし、それが作品を台無しにしてしまわないとも限らない。そんなこと考えてるから、本当に描きたいものを見失う。
なぜ描くのか?
「そこに紙があるから」
と答えられたらさぞかしかっこいいんだろうけど、残念ながら私はアーティストではない。ストレス解消になるから描き始めたんだよね。
描いている間は楽しい。こうやって絵ができてくると、おお、すごい!って思う。自画自賛してる笑
のみを使って木の中にいる仁王像を掘り出すのにも似ているかもしれない。色鉛筆は紙の上に写し出す。描いているうちにだんだん、自分が本当に描きたいものは何かわかってくるんだと思う。
あるいは、自分を見失わないために描く。私の目にはどんなふうに世界が見えているのか。それを確かめたいんだ。
そしてまた、向き合うためでもある。
ストレスを、絵を描く口実に使っているわけではないよ。何もないところに何かを描くためには、今自分が抱えているものを吐き出すしかない。
どうしてこんなに、水の色を青く塗ってしまうのだろう。止まらなくなる。何かに取り憑かれたように色鉛筆を動かしている私の左手。自分で動かしてるというよりも、勝手に動いてるみたい。もっと濃く、もっと強く。
夢中になりすぎてしまったと思うのはいつも描き終えた後なのだ。