time to tame

この言葉はあまりにも有名で、なんだか使い古されてしまったような気がする。だから初めて『星の王子さま』を日本語で読んだ時、ただ漠然と「いいなあ」と感じるのみにとどまってしまった。
「一番大切なものは、目に見えない」

確かに、その通りだろう。でも私の中でその言葉が真実となるには十分でなかったのかもしれない。ひとりで読むだけでは。
ところが人に教えるとなると、やっぱり何度も本文に目を通すし、どういう意味なんだろう、と考える。
例えば、キツネが王子さまに言う場面がある。

”I’m not tamed.” (僕は飼い慣らされたりなんかしないよ)

“tame”とはどういう意味なのだろうか。日本語に訳すと「飼い慣らす」という意味になる。
これは作者の意図?読み手が引っかかるように?耳慣れない ”tame” という言葉をわざわざキツネに言わせるところが(だって人が人に対しては言えないはずだ。もし人間の立場で言葉にするのだとしたら、なんと言うだろう)。
ともかくも私は立ち止まって考えずにはいられなくなった。

サン=テグジュペリの他の著書を読んだことがある。『夜間飛行』と、『南方郵便機』。
想像してみてください。暗闇の中で天空と、そして地上の星がどのように見えるか。夜の砂漠の上を飛ぶ時には、星以外に頼りとなる光はない。時間が進み、距離を稼ぎ、街の上空を通過するごとにその領土を征服していくような気持ち。
当時、大陸から大陸へと郵便物を運ぶ飛行機の操縦は危険と隣り合わせだった。発動機の故障、嵐、途絶える無電通信。なすすべもなく燃料が消費されていく中、焦がれるように夜明けを待つ気持ち。
地上の暖かな灯りの中で生活することへの憧れ。2年ぶりに休暇をとって街に帰ってきた時の疎外感。
とてもリアルに描かれているので、飛行機操縦士になるとはこんな感じなのか!と、すっかり理解したかのように錯覚する。飛行機の操縦なんて一度もしたことないのにね。
こんなふうにも小説を書くことができるんだなあ…。

脱線してしまった。“tame” の意味に話を戻そう。
星と星を繋いでそこに形を見つけるように、私は本と本の間に過去に生きた一人の小説家の姿を見ようとする。
3冊とも作中に登場するあるひとりの人物に焦点を当てている。
『星の王子さま』と『南方郵便機』には「僕」が存在する。でも「僕」が何を思ったか、何を感じたかはあまり詳しくは書かれていない。名前すら出てこないという有様。「僕」が語るのは、「王子さま」や「操縦士ベルニス」といった一人の人間の姿だ。彼らは、「僕」の友達として描かれる。そして彼らこそが、小説の中の主人公なのだ。
『夜間飛行』においても、会社の支配人「リヴィエール」が、自分が送り出す操縦士や部下のことを、いかに「一人の人間」として見つめているか。読んでいてとても胸に迫るものがある。

そうしてみると、“tame” の意味が理解できるような気がしてくる。

“To tame me, you must be patient.”
(僕を飼い慣らすために、きみは辛抱強くしていなければいけないよ)

とキツネは王子さまに言う。王子さまはキツネの言葉にじっと耳を傾ける。時間をかけて、そしてついにはキツネと友達になるのだ。
誰かのために時間をかけること。世界で唯一の存在であると感じるまで。それから、責任があること。いつまでも。

本を読むことにも、同じことが言えるのではないだろうか。
ゆっくり時間をかけて、辛抱強く言葉の意味を理解しようと努める。書かれた文章は読み手に何かしら影響を与える。そのうちにだんだん、世界中に数ある本の中で、その1冊が特別なものに感じられるようになる。
例えば、夜空に飛行機の灯りを見つけるたびに、私は読んだ本のことを思い出すだろう。それは私にとって目指す星だ。こんなふうに小説を書けるようになりたいんだ。到底及ばないように思えても、目標さえ見えれば、そこに向かって少しずつ近づいていくことができるじゃない?

しかし私は、サン=テグジュペリが書くことのために何をどれだけ犠牲にしたか、知らない。
「僕」は、友達のために主人公の座をすっかり譲ってしまった。一種の危うささえ感じる。だって、相手のために自分が徹底的に失われてしまうのだ。利他主義の成れの果てが、支配人リヴィエールかもしれない。自分の感情を押し殺して、全ての時間を世界中の空をめぐる夜間飛行のために費やして。
私にはそこまでできないなあ。書くことのためだけには。だって、書くことよりも大切なことはいくらでもあるからね。

「一番大切なもの」というのは、自分の全てを犠牲にしても良いと思える相手なのか。自分よりも大切な存在?
もしそうなら、キツネは王子さまにずいぶんとハードルの高いことを求めていたようだ。難しいな。
考えるうちに、私にはわからなくなってきた。本当に大切なものって何?

たぶん、キツネが言いたかったのは、代わりがいないということなのかもしれないな。
世界中にバラはたくさんあるけれど、他のどのバラも王子さまがタネから育てたバラの代わりになることはできない。砂漠で出会ったキツネが、王子さまにとって世界にたった1匹だけのキツネだと思えるようになるまでには、時間をかける必要があったのだろう。

時間がかかるのも納得だ。
誰かから大切にされていると感じる時、そこには温かさが生まれる。どうしてそんなに大切にしてくれるのだろう。わからないけど、でも、ありがとうと思っておけばいいんだ。
誰かのため、何かのために費やした時間は決して戻ってこないだろう。でも消えてなくなってしまうわけではない。さよならをした後、読み終わって本を閉じた後も、ずっと続いていく。なぜならそれは、目には見えないものだから。

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