焼きいも毛糸

秋になったらお芋を食べよう、と考えている自分がいる。

ベビーアルパカを編み終えて、新しい毛糸で次のスヌードに取り掛かった。黄色と紫がグラデーションになった毛糸である。赤みがかった紫色といい、ほっくりした黄色といい、まるで焼きいもだ。

犬の耳を触っているような手触りにすっかり虜になった。
毛糸のラベルにはポリエステル100%とある。ウールではない。ウールは温かいけれど、重みもあるし、ちくちくする。焼きいも毛糸と比べたら、ベビーアルパカでさえごわごわに感じられてしまうくらいだ。
でもこれ100均で買ったんだよね。強度とか大丈夫なのか。よく観察すると細い白糸が幾つかより合わさって毛糸の芯になっていて、その周りを覆う黄色や紫の綿毛が柔らかな触感と焼きいもの色を実現しているのだった。
今のところは悪くない。途中で切れることもなければ、毛玉に出くわすこともない。そのうち黄色や紫の綿毛が抜け落ちないか心配ではある。

子どもの頃、羊の毛刈り体験をやったことがあるんだ。愛知牧場で。
刈り取った羊の毛はベージュ色でモコモコしていた。いや、ごわごわしていた。もつれあった毛は生地状に固まっていたので、ちょきちょきハサミで切って腕を通す穴を開けたら、そのままチョッキとして着ることができそうだった。
まず水で洗った。細かい枯れ草がくっついていた。生きている羊がまとっていたものなので、羊の匂いがした。洗剤と柔軟剤を使ってじゃぶじゃぶ洗ったけれども、洗剤の香りの中に羊の匂いが残った。
お店で売られるウールの毛糸は、全然羊くさくない。でもウールの匂いはする。中高生の頃、雨の日に制服から立ち上っていたあの独特の匂いと同じだ。
ポリエステルの毛糸からは当然、何の匂いもしない。焼き芋の香りがいかにも似合いそうなのに。

編むうちに、途中で黄色が抜けて白と紫のマーブルに変わった。
なんだか急に、温かみが失われてしまったような気がした。色が変わっただけで毛糸の質感はそのままなのに。
なぜだろう?
考えを巡らせていると、ダックスフンドの毛色を思い出した。「ダップル」という種類がある。黒もしくは茶色の地に白の斑模様。白の毛糸の混ざり具合が、ダップルに似ているといえば似ている。
どうも私は、ダックスの毛皮には猜疑的な目を向けてしまう。
なぜかというと人気のある毛色は、人為的に作り出されたものだからだ。そしてダップルの毛色を決める遺伝子には病気になりやすいリスクがあるという。
人気の毛色の子犬が欲しいからといって、生まれてくる子犬に病気のリスクを負わせるのはおかしいと思うんだ。何かを犠牲にして人間の欲望を叶えようとするのは間違っている。

この毛糸はいかにして作られたのだろう。
ラベルを見ると愛知県一宮市に会社がある。工場で作られたにせよ、人の手がそこに入っていたのでないかと私は想像する。
糸が作られる過程で黄色と紫と白のアクリル綿毛を混ぜていく。ここはちょっと黄色強めで、もう少ししたら紫を混ぜる。自然なグラデーションができるように、色の継ぎ目では配分を微妙に変えていく。
だから白いところにうっすら黄色を見つけた時は、作った人がこっそり黄色を混ぜてみたり、してたんじゃないかなって思った。バレないくらいのいたずら心的な。
ひょっとしたらグラデーションの配分は全て機械が決めていて、自動で糸を紡いでいくのかもしれない。色が変わっても忘れられていた黄色の綿毛が、うっすら残ってそんな糸になってしまったのかも。あるいは毛糸の統一感を出すためにあえて黄色を微かに混ぜたのか。
本当のところはわからないけど、本当に素敵な毛糸だと思ってる。なかなか味わい深い色合いだ。

毛糸にはたくさんの色がある。赤でも緑でも青でも。
もともとの羊の毛の色はあまりバリエーションがないのだろうか、なんてことを思った。染めるには白っぽい毛の方が都合がいいのだろう。どちらかというと、肌触りや加工のしやすさの方が重視されているのかも。
犬の毛といい毛糸といい、なぜ人間は見た目にこだわるのだろう。人工的な色に囲まれて、いつしか自然な色を忘れてしまう。

私自身、そんな色に魅入られてしまう人間の1人だ。
昼間中断していた編み物を再開すると、毛糸の色はまた表情を変えていた。昼間は気づかなかったけれど、白と紫の配色は紫玉ねぎの色だ。焼きいもの紫はなんだか渋みを増していた。これ結構、燻されたな、って感じ。紫が濃い部分では血の色にも見える。私はワインを飲まないけど、薄暗い明かりの下でグラスを傾けている、そういう雰囲気の色。
実家の庭に咲いていた、白と薄紫の花を思い出した。名前は知らない。稲穂みたいな形に連なった花びらはふわふわの毛で覆われていた。ちょうどこの毛糸のスヌードと同じ手触りだった。あの花の匂いを覚えている。いい香りとはいえない、でも嫌な香りでもない。どんな匂いかと問われても、説明はできないんだけど。

不思議な毛糸だ。明るい昼の光の下で見るのと、夜蛍光灯の光の下で見るのとでは、ずいぶん印象が変わる。
それも編み物の面白さだと思う。単純作業だから、思考がいくらでもふわふわと漂っていく。どうでもいいことばかりだ。どうでもいいから、だから何にもとらわれることなく自由なんだと思う。そこから何が始まるのでもなく、ただ淡々と時が流れ、気づいたら編み目は出来上がっている。
どこまでいっても初めからずっと1本の糸なのだ。ともすればバラバラになりそうな心を、毛糸はゆるくまとめてくれる。どこにも居たくないと思う時、どこかへ心を逃してくれる。糸をたぐる指も抱えた膝も、私の体は確かにそこにあるしかないけれど、でも少しの間ならこうしていてもいいかと思えた。

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