救われた

優しくされるのは苦手だ。泣いてしまう。

ある時、自転車で坂を登るとき、「助けて!」って心の声が聞こえた。
いつもの坂道なのにいつもの10倍きつく感じた。息ができない。ペダルを踏む1歩1歩がまるで自分の心を踏みつけているみたい。もうダメだ。これ以上頑張れない、って思った。
心ってどこにあるかといえば、やっぱり体の中に収まっているんだと思う。吸ったり吐いたりする息に合わせ、炎のように伸びたり縮んだりしている。ここに心がある。体の中でいつも自由になれない。意志と行動と本音がばらばらな時、苦しくなる。
なんてことをしていたのだろう。こんなにぎゅうぎゅう押し潰して。それに今まで気づけなかった。私は自分に優しくすることができなかった。

その日私は初めて、人に助けを求めることができた。心から、真っ直ぐに、「助けて!」と。
どうしようもないくらいの苦しさを、言葉にして伝えるのはすごく難しいと知った。
もっと早く助けを求められたらよかったのだろうか。こんなになる前に?

本当は毎日毎日、助けを求めていたのだ。心の中では。
でもどうやって助けを求めたらいいのかわからなかった。どうしたら助けられるのか自分でもわからなかった。
ただ涙が止まらないので困っていた。なんで泣いているんだろう。
どうしようもなくなると人を頼っていた。彼は私にジャンプを見せる。あるいは、これ欲しいんだよねとちいかわグッズを見せたりする。最近城ドラのゲームを始めたと言って、何度も何度も負け続ける。「また負けちゃったよ」泣いてる子どもは大抵はそれで簡単に泣き止む。
ひとりじゃなくてよかった。

「病院に行ったら?」と妹は言った。
「私でよければ聞くからいつでもLINEしてね」とも。
大丈夫だと思っていた間は言えなかった。言う必要も感じなかった。だって大丈夫なんだから。自分で認めたくなかったのもある。もうこれ以上は頑張れないなんて認めたくなかった。
でも、どうしようもないのはどうしようもない。大丈夫じゃなくなって初めて、「助けて!」が出てきたのだ。

病院に行った。
休みをとって実家に顔を出した。私のために押し寿司とお稲荷さん、かぼちゃの煮物を作ってくれた。歌を歌ったり(母とばーちゃん)、ピアノを弾いたりした(私)。それから、犬を連れて公園を散歩した。
秋の午後の穏やかな光の中に、ずっと留まっていたいと願った。だっていつかは帰らないといけない。いつまでもこうしてはいられない。そうでしょ?

「我慢して働かなくてもいいんだよ。みんな幸せになるために生まれてきたんだから」
「僕はこの歳になるまで自分のやりたいことを全部やってきた。だからあなたもやりたいこと全部やりなさい」
「夢を持ってね」

そんなに言ってくれなくてもいいのになあ。まるで死の淵から連れ戻そうとするみたいじゃないか。私にはもったいないくらいだ。
自分でも知らないうちにうっかり死んでしまうことだって、ないとは限らない。どんなにひどく押しつぶされている時でも心は目に見えないから、知らないうちに少しずつ死んでいくかもしれない。
切実に助けが必要だった。もし誰にも聞き届けられないままだったら、どうなっていたんだろう。
みんな優しかった。優しさだけではどうにもならないけど、その気持ちだけで心が救われる気がする。
ちゃんと受け止めてもらえて、よかった。

幸せになろう。幸せに働ける場所を探そう。
やりたいこと全部叶えよう。自分のための人生なんだから。
もう一度新しい夢を描こう。生きるために。いつかこの恩を返すために。

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