自分会議

どうして私は泣いているんだろう。

何かが嫌なわけじゃないんだ。仕事も、そこにいる人たちのことも、みんな素敵だと思う。なのに、自分に合わない場所にいるということはこんなにつらいのか。

毎日毎日泣いている。一瞬止まったと思ったらまたぽたぽた出てくる。その繰り返し。
止めたくても堪えることができない。困ったな。

堰が壊れたように泣いている自分を、客観視する第2の私もいる。「こんなに泣いちゃって可哀想だなあ」と思うけどどうしようもなくて、2番目の自分も涙が出てくる。
もう少し離れたところで眺める3番目の自分は、いつものように落ち着いてどっしり構えている。「休みを取ろう」と決めた。

これでよかったのかな。
わからない。
どうしたらよかったのかな。
どうしようもない。
自分で決めたことだ。くよくよするな。
これからどうしたらいいか考えよう。

自分では覚えていないけど、赤ちゃんの時の私はめちゃくちゃ泣く子だったらしい。母がよく話して聞かせてくれた。
「泣き声がすごくて大変だった。本当に火がついたみたいに泣くの。外食する時は、お父さんと交代で外であなたを抱っこして1人ずつ食べてたよ」
もちろん大人になった今は静かに泣ける。声を出さずに泣く術を身につけた。
でも赤ちゃんだった時の、泣くことしかできないあの感覚は体のどこかに残っていて、「そういえば、前にもこんなことあったね」なんて、いつでも冷静沈着な第3の私は思ってる。

赤ちゃんが泣くのは、悲しいとかお腹すいたとか言葉で言い表せないからなんだ。言葉にできないけど、何か理由があると思うんだよね。
どうして私は泣いているんだろう。

ストレスのせい?知らないうちに積もり積もっていたストレスが、涙という形で溢れ出してきたのか。
悔しさ?自分の弱さが許せなかった。
不安?この先やっていけるのか。

そのどれかかもしれない。あるいは、
「幸せになるために生まれてきたんだから」
ずっとこの言葉が私の心の中で繰り返されている。歩いている時も、歯を磨いている時も、料理をしている時も。
言われて嫌だったわけではないよ。むしろずっと待っていたみたいな気がする。誰かにそうやって言ってもらえるのを。

じゃあ、これからは幸せになれるように生きていけばいい。
どうしたら幸せになれるのかな。今でも十分幸せだと思うんだけど。もう少し長く生きてみれば、足りない何かを見つけられるのだろうか。

今朝散歩してた時にまた少しわかったような気がした。
「自分のために」ということなんだ!
自分のために働いて、自分のために生きる。
なにそれ?
今まで全然考えたこともなかったよ。

例えば、はちまきのダーリンのこの記事は自分のために書いているよね。誰かのためじゃない。
休みを取ったのは、元気になって働くためとかなんとか理由をこじつけていたかもしれない。でも自分のため、自分の心を守るためだよね。
他にもたくさん、自分のためにやっていることはあるはずだ。もっとたくさん自分のためにできることがあるはずだ。

第1の私はようやく涙が止まった。第2の私は、今まで気がつかなくてごめんねと思ってる。
第3の私は「よかったね」と言っている。
今日は自分のために新しい枕を買った。よく眠れるといいな。

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