“I’d like to come back to my former workplace. If I left you to live alone again, what would you do?”
「もし私が一人暮らしに戻りたい、前の職場に戻りたいと言ったら?」
彼は両手で目を覆い、泣くふりをした。いつもの、笑いが透けて見えるような冗談での泣き真似とは違って、本当に悲しそうだった。
「そしたら1週間も生活できないよ。きみはこの家の守護神だ」
その通りでしょうね。
家事をやらないというよりも、できないレベルだと思う。この間トマトを切らせたら包丁で押しつぶすようにしていた。指を切りそうで怖いんだって。だとしても両手を使え、両手を。
「前の職場に戻りたいの?」と彼は聞いた。
「今も自分ひとりで、あなたがいなかったら、戻りたい。でも」
こんなこと本気で言ったんじゃないんだ。それを伝えるための言葉を見つけるのに少し間が必要だった。「結婚したい」
あなたはどう思ってるの?と尋ねたら、「一緒に暮らしたい」と答えが返ってきた。
はあ?もう一緒に暮らしてるじゃん。
この人に結婚するだけの覚悟があるのかどうか疑わしい。一緒に暮らしているだけで十分ということか。
そうじゃなくて、仕事と家庭を両立していかなければいけないと私は考えている。「一人暮らしで結婚していません」という状態だったら、会社では「もっと仕事に打ち込め」的なプレッシャーをかけられる。直接言葉でいわれなくても、圧は確かにあって、私のストレス要因となっていた。毎日残業して、さらに家でも家事に追われてばかりで、こんなのやってられないわ。結婚するってことは私もあなたを頼りにするということなんだよ、わかってんのか!
その翌日、私は実家へと車を走らせた。結婚の報告をするため、というわけではもちろんない。もともとその日行くねと伝えていたのだ。米と野菜を受け取りに行く予定だった。
父もたまたまうちにいて、お昼は3人で食べた。買ってきたピザをオーブンで焼き、レトルトのナポリタンに刻んだベーコンとピーマンを加えて炒めた。
母の料理の腕前はそれほどでもないので、いちから作るよりも市販品を有効活用する方が美味しい。妙に説得力のあるおふくろの味に感化されたのかわからない。とにかく食べ終えた後、涙が止まらなかった。
畑にみかんをとりに行き、犬の散歩へ行き、ようやく涙が収まった。延々と母がどうでもいいことを話し続けるのを聞き、祖母のイタズラを見て泣きながら笑った。
夕方、車に野菜と米を積んだ。泊まっていくかと聞かれたけど断った。車を返さないといけないから。ハンドルを握っている間はなんとか持ち堪えた。
家に帰るなり、息もできないくらい泣いた。
蓋を開けてみれば、前よりもひどくなっていた。「つらさ」の尺度なんてどこにもないからどう説明していいのかわからないけれど。
前まではまだ我慢できた。感情をコントロールできなくても、まだ、我慢することはできた。ストレスの原因を遠ざければいいとわかっていたからだ。でも今回は…。つらい以上に恐ろしかった。
これ以上泣いたらもうだめだという気がする。もはや人間として生きていくことができないのではないか。ただ泣くだけの生物に成り果てて、それでも生きていかねばならないの?
私は実家に戻りたいのだろうか。
2匹の犬がいて、どこか抜けている母とお節介焼きの祖母がいて、マイペースな祖父がいて、いつも忙しそうな父がいる。散らかり放題のテーブル、賞味期限切れの牛乳がふんぞり返っている冷蔵庫、無駄に間取りの広いトイレ。もう一度ここで暮らしたいなんて本気か。あの頃は出て行きたくて仕方なかったくせに。
あれ、おかしいな。結婚したいなんて言いながら、まるで子どもにかえりたいと望んでいる。
自分の心がわからない。
働きたいのか、仕事を辞めたいのか。
結婚したいのか、実家に戻りたいのか。
どっちなんだよー、もう!
わざわざ葛藤を創り出して、被害妄想的に苦しんでいるだけではないかという気もしてきた。
I must work.
I must do housework.
「働きたい」のも「結婚したい」のも must なのだと思う。「嫌だけどやらなきゃいけない」have to ではなく、責任を持って「自分がやらなきゃ」と感じる強い意志。
I’d like to quit my job.
I’d like to to go back my parents’ home and live there again.
would like to は、「(もし叶うなら)〜したいのですが」という意味で、控えめな表現として使われる。
本音はこっちなんじゃない?
生きたい。生きたくない。
I must live. I won’t live more.
義務感で生きている、今の私。
全てを投げ出して自由になることができたらいいのに。優しさなんていらない。家族なんていらない。いっそ初めから出会わなければよかった、って?
優しくされればされるほど、大切にしたいと思えば思うほど、自由を失くしていく。やめてくれ。もう耐えられない。
「みんな幸せになるために生まれてきたんだよ」
また、あの声がした。
「あなたもやりたいこと全部やりなさい。自分の人生なんだから」
I want to be happy.
I want to marry him.
そうだ私は、幸せになるために結婚したいんだ。この世の中で一番大切なのは自分の幸せでしょ?
遠慮なんかしてないで、やりたいことはみんな叶えてしまえ。