服の匂い

一人暮らしを始めて1年くらい、ずっと同じ柔軟剤を使っていた。お気に入りがあったわけではない。白いボトルに青い花のイラストが鮮やかで、これにしようと決めた。特にこだわりなんてなかったし。
迷うのも面倒だ。同じ種類の詰め替え用を買い続けた。

柔軟剤のボトルが空になったある日店に行くと、いつもの詰め替え用が見当たらなかった。商品リニューアルをしたみたいだ。
ちょいと気分転換に種類を変えてみよう。同じメーカーでもいくつか違う香りを出している。どれも花の香りだ。しかし何の花だか良くわからない。テスターを試すがめすして1つ選んだ。
早速洗濯したら、一日中違和感だらけだった。ベランダに干す時も乾いた服を畳む時も、着る時も脱ぐ時も。洗濯機が置いてある洗面所に出入りするたびに、「ああそうだ、柔軟剤を変えたんだった」といちいち思い出すのだ。
嫌な匂いではない。ただ、いつもと違うのが変な感じ。
それ以降、柔軟剤を取っ替え引っ替えしている。およそ1か月半ごとに落ち着かない日がやってくる。

子どもの頃はどこかからもらってきた古着を着ていた記憶がある。匂いが違うから別の家で着ていたものだとすぐわかった。買った服にはそういう匂いはしない。
着ているうちにだんだん前のうちの匂いは取れていく。けれども新しく着る服は初めのうち気に入らなかった。だって、匂いが違うんだもん。

4つ下の従兄弟が生まれた時のことを私は覚えているかもしれない。粉ミルクの匂いと、それから叔母の匂いを覚えている。匂いしか覚えていないから、「覚えているかもしれない」という何とも頼りない記憶だ。それは病院だったのか家なのか、そもそも粉ミルクを飲んでいたのは従兄弟だったのか、従兄弟のベビー服も叔母の服装さえもわからない。それでも叔母の匂いははっきり覚えている。

最近、叔母からニットのトレーナーをもらった。ちょうど服が欲しいと思っていたところだったから、ありがたい。大人になっても人から服をもらっている私。
サイズ良し、色良し、肌触り良し。そしてやっぱり気になるのは服の匂い。うちとは違う柔軟剤だ。馴染みのない香りだったから少々失望した。
今でも洗濯物を干している家の前を通ると、時々ふっと懐かしい匂いがする。どこかに同じ匂いの柔軟剤があるに違いない。しかし私は未だ見つけられずにいる。
昔の叔母を思い出す。今より若くてきれいですてきだった。と言っては失礼か。なんか、いつまでも歳を取らない人みたいに見えたんだよね。今でもすてきな人であることにもちろん変わりはないよ。どうか変わらないでいてほしい。なんてことを最近よく思う。そうじゃないな。子どもに戻りたいと思っているのは私の方なのだ。

実家の柔軟剤の匂いは思い出せない。あまりにも空気のように身に馴染んでしまったせいか。それとも、無香料の柔軟剤を使っていたのか。母は鼻がよくて香りの強いものが苦手だった。ハミングだったような気もするし、レノアだったような気もする。忘れた。

服の匂いは思いがけず影響力がある。柔軟剤にこんなにたくさん種類があるのにも驚かされる。学校で、職場で、それぞれのうちの匂いを持つ人たちがすれ違っている。
匂いなんて空気と同じだ。「何でもいい」と思っていたのに。どうやら私はこれまで柔軟剤を選ぶということを侮っていた。たまたま手に取った一つがこれほどまでに定着してしまう。
知らない間に心を支配されている、と言っては大袈裟か。当たり前のような顔をして、染み込んで、いつの間にか離れがたくなっている。

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