風に立つライオン

読み始めは、あら、震災の話だっけと肩透かしを喰らったような感じがあった。日本人が美化され過ぎている風もある。
震災後のタイミングにぴったりくる一冊だったに違いない。悲しみのどん底にいる人たちの心に寄り添って、その上でぐっと押し上げてくれる。
10年経った今でも人の心を救う、命のバトンの物語。

『風に立つライオン』

どこかで見たことのあるようなタイトルに心を惹かれて図書館で借りた。
読んでいる途中で思い出した。中2の道徳の教科書に手紙が載っていたのだ。アフリカの病院で働く医師が、日本に残した恋人へ宛てた手紙。
それは歌詞だった。音楽を元に小説が書かれ、さらに映画も作られた。あとがきを読んで初めて知った。
さだまさしさんが歌っているよ。私はあの、歌い終わった後に流れるアメイジング・グレイスのメロディが好きだな。1回目は悲しくて寂しいけど、2回目には誇り高く生きようとする力強い調子に切り替わる。すごいよ。夕焼けのように輝くたてがみをなびかせるライオンが目に浮かんでくる。
行ってみたいね、アフリカ。何百万羽というフラミンゴが一斉に飛び立つ景色をこの目で実際に見てみたいものだ。

本の中では何人かの語り手が「記録」「回顧」、人へ宛てた「メール」という形で、あるひとりの医師について語る。航一郎という。
彼こそが風に立つライオンだ。
「人のせいにしなければ耐えられない悲しさってあるんだよ」
そのことを知っているお医者さんだ。
あるアメリカ人は航一郎のことを、「ゼロ・ファイター」と表現した。零戦。
自分の命を燃やし過ぎてしまって、儚く散り果てる。風に立つライオンの歌を聴いているとそんなイメージを持ってしまうんだ。
立派すぎる。
「幸せになってくれ」と人に言う前に、まずあなたが幸せになってください。でもどうしてもアフリカに行きたかったんだろうなあ。
なるほど、命のバトンという物語でなければ書けなかったわけだ。命を燃やし尽くしてそこで終わってしまったなら、一体何の意味があるんだって虚しくなるだけだから。

私には何もわかっていなかった。「プライドをもって仕事をするとは、どういうことか」
これまでに繰り返してきた無数の選択を思う。パン屋もマッサージ師も農業も教員も、一度に全部はなれないから、結局選ぶことになる。どの高校・大学に行くか行かないか。実家を出るか出ないか、どこに住むのか。どの本を読むか読まないか。何を言うか、それとも黙っているのか。誰と一緒に行くか、ひとりで行くのか。誰かのためか、自分のためか。
あとになってこれでよかったのかなと考える。私は生きている。半分は死んでいる。私が選ばなかったもう一つの人生は、いま死んでいる。
何のために生きているのか。これでいいのか悪いのか。私の選んだ道は間違っていたのか。あれもこれも間違っていたのか。
考えても考えても、正解なんかない気がするよ。
一つでも選び取ったのなら、悔いのないように一生懸命に生きていけばいい。あんなに立派にはなれないけど、私は私で、自分自身とこの手が届く範囲とを幸せにしていけばいい。
頭を納得させることはできても、なんでかな、ずっと心が沈み込んでいる。
諦めたからだ。かっこいい自分でありたいと願ったけれど、果たせなかったからだ。
わかってるよ。もともとそういうたまじゃなかったんだ。いいかげんにしろよ。

結構なことじゃないか。命のバトン。
誰かと出会って、何かを受け取り、何かを受け渡す。そうやって人は生きていくんだなあ。
何か偉業を成し遂げよというわけではない。ただ生きているだけで立派なものだ。
つまるところ「人柄」だと思う。愛嬌ある航一郎の人柄もそうだけど、航一郎だけじゃない。語り手一人一人の人柄も読んでいて伝わってくるんだ。誰かについて語るというのはこんなにもすてきなことなのか、って思った。悪口を書いている人は、避難所の悪代官のことを除けばいなかった。
現実は素晴らしい人間ばかりとは限らない。
悪い部分も含めて「人柄」なんだと思うよ。出会いによって人間はできている。人柄が悪くなるのは、そういうバトンを渡されたのだから仕方ない。命の証に良いも悪いもない。

かっこいい自分にはなれなかったけど、これからも自分として生きていくよ。
何の意味があるのか。そんなことわからなくても渡されたのなら最後まで大事にバトンを運んでいくものだ。行けるところまで、命ある限り。もらったものを今度は返していくだけさ。
自分で言うのもなんだけど、私の人柄はなかなか人気があるんだ。

一度はアフリカに行ってみたいなと思う。航一郎のように戦傷外科病院で貢献するとかじゃなくて、自分のため。行けるなら行ってみたいな。

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