こんばんは、よしだじゅんやです。
昨日は久しぶりにお酒を飲んだ。お酒を飲みたかったのでなくて、久しぶりに酒を作りたくなったのだ。冷蔵庫を確認するとまだ封が空いていないウィルキンソンのソーダ水があった。そしてハーフボトルの角瓶が残っていた。僕は台所からマドラーと、ブラックニッカのマークが入ったグラスを用意して、ハイボールを作り始めた。 “ジャズバーと薄っぺらい言葉について。” の続きを読む
生きるために、書く。
こんばんは、よしだじゅんやです。
昨日は久しぶりにお酒を飲んだ。お酒を飲みたかったのでなくて、久しぶりに酒を作りたくなったのだ。冷蔵庫を確認するとまだ封が空いていないウィルキンソンのソーダ水があった。そしてハーフボトルの角瓶が残っていた。僕は台所からマドラーと、ブラックニッカのマークが入ったグラスを用意して、ハイボールを作り始めた。 “ジャズバーと薄っぺらい言葉について。” の続きを読む
右目が痛い。はてしなく痛い。
先日四日間東京にいってきたのですが、めんどくさかったので、コンタクトレンズをつけっぱなしにして生活をしていました。家に帰り、コンタクトレンズを恐る恐る眼球からはがしてみると、「バリっ」っていう破裂音、は聞こえなかったけれど、人体から何かが切り離された感覚がありました。けれど、たいしていたくないし問題ないじゃんと胸をなでおろし、翌日なにもきにせずコンタクトをはめると、謎の違和感がある。違和感を無視してデスクで作業をしているとだんだん目がじんじんと熱を帯びている実感が出てきた。そして退社するときには目がはれて、涙が止まら無くなった。現在僕の眼球は真っ赤に充血をし、瞼が半分閉じた状態になっています。
昨日の夜から、今日の朝まで三段階の変化があったので、ここに書いてみよう。
先日母親に、あなたを一人暮らしさせるべきではなかった。と嘆かれた。僕はそうかなあ?と母の発言に疑問をもちつつ、話を早く終わらせるために、どうにもならない答えをして早々とその場から去った。
いまこの文章を書いている瞬間に、西尾さんからmessengerで連絡があった。「ご確認よろしくお願いいたします」なんてやけにかしこまった文章とともに「吉田純也様」という名前のPDFデータが送られてきた。なんだろうと思って開いてみたら、「内定通知書」だった。笑いをこらえながら、その詳細な文面を追っていった。「慎重に判断させていただいた結果、貴殿の採用が内定いたしましたので、ご連絡させていただきます」のところで完全にコーヒーを噴き出してしまった。昨日ののみの席で、西尾さんが社長に「明日内定通知書出しちゃっていいっすよね?」と聞くと、社長が「おう」と二つ返事で許可したのだ。全員ハイボールを5杯くらい飲んだ後の会話だったので、僕も「それ超面白い。一応内定ってことにしましょうよ笑」とか適当に話していたのだ。そしたら本当に来た。なにが「慎重に判断」だよ、みんな泥酔状態だったじゃんか。
ということで僕はとりあえず久しぶりに内定通知書という文面を拝むことができました。たぶん入らないのだろうけど、内定は内定に変わりない。
社長の意志は一貫していて、僕には常々「君はどこにでも入る権利と可能性があるのだから、とりあえず他の企業も考えなさい。それでいやだったらうちに来て」と言ってくれていた。僕は「自分が納得する形で企業に入りたい」と考えていたので、「この会社のやりたいことすごい面白いけど、今入るかは悩む」と考えていた。その結果が、とりあえず内定者として扱うということだった。君がどこにいってもいいけど、一応うちにも席があるから好きな時に遊びにきて、一緒に遊ぼう。という状態である。
西尾さんが語った今後のプランが面白かったので、僕も二つ返事で「やります」といってしまった。僕が今後やっていくのは、会社の新卒採用第一号生というレッテルをみずから貼り付け、会社の宣伝をしまくるということだ。「とりあえず、内定者記事書いてよ」ということになったので、あたかも僕が会社の一員みたいな写真だけこれからオフィスで撮影し、記事は後日自宅で書く。記事を広告費を払って拡散させるというのが僕が近いうちにすることだ。あと名古屋を中心とした採用担当というか事前のヒアリングとかもすると思う。君は自分の就活を全うしなさいよという感じだけど、まわりまわってぼくにもメリットがあると思うのでここはまよわず進めだ。自分の顔と名前と経歴を会社の費用で拡散してもらえるの就活生としてありがたい。と、僕は思う。
今日も読んでくれてありがとう。俺はピクサーを倒す!って言って成功している人は少ないです。
今日、ゆりかもめに乗って、東京のビル群をぼんやりと眺めていた。なにも理由がないが「釣りがしたい」と僕は思った。そう思うと、僕は「釣りがしたい」と呟いていた。
自分を忙しくすれば忙しくするほど、休みではなく、ぼーっとする時間が欲しくなる。ただなにも考えずにぼんやりと過ごす時間だ。はたからみるとぼんやりとしていることに生産性を見込むことはできないのだけれど、僕にとってアイデアを生む時間として非常に重要なのだ。ぼんやりしない人の行動は生産性は高いかもしれないが、消費的な生産をしているにすぎない。ダンスダンスダンスの言葉を借りると「雪かき」のような作業だ。「別にだれにだってできるのだけれど、誰かがやらないといけない作業」雪かき的な仕事をする人を否定しようとは思わないけれど、楽しいのかなあ雪かき?と感じてしまう。
というわけで、僕は釣りがしたい。隣に座っていた女は「私はアジを釣りたい」と言った。僕は「そうか」と答えた。魚を手に入れたいわけではない。海をぼんやりと眺めていたいし、海面の下に潜む魚や植物に想いをはせていたい。その時間は僕の中にストックされた具体的な事象を、どろどろに溶かしてくれて、複雑に結びつけてくれる。釣りをしたことはないが、僕は釣りをするべきなのだろうと直感的にわかる。自分が竿を海にほおってじっと海面を見つめている姿を想像することができる。素敵な時間だなあ。
今日も読んでくれてありがとう。釣りがしたい。釣りしたくない?だれか釣りのしかた教えてくれ。
ざっと、かこう。
「お前の言葉はぺらい」という言葉を上司からいただきました。ありがとうございます。僕が「この行列をくるっと逆転させて」とか「このレイヤやばいんすよ」とか連呼していたらちょつと真剣に、諭すように「おまえなあ」ということになったのである。わかる、僕の口語はとても軽い。し、語彙も少ない。けれど、そんなに言葉を無下にしている意識もなかったので、上司の言葉には面食らってしまった。
上司曰く、人が使用する言葉にはその人自身が現れるらしい。そして言葉への誠意さが、人を豊かにするらしい。いやいや、僕だって言葉への誠意をもってまんがな!と上司にくってかかろうとした。のだが、僕がダーリンに投稿する文章や、突飛しもなく「やだ!」と返信するする姿を思い浮かべ、急ブレーキを踏んだ。僕、雑に言葉を使ってるわ。
そんな僕の言葉遣いを向上させるために、上司は僕に課題を出した。週に一回区切りのいいところで研究内容を文章にまとめて発表すること。「どうせ、まともな文章をかけないのは目に見えてるから最初はとりあえず文章をかくところからでいいよ」と追うように僕に言った。その言葉にちょっとかちんときてしまったので、「いや、林田さん、僕の文章なめないほうがいいっすよ」と返した。なんか悔しいのであっと言わせてやりたい。
「ハルキスト(会社でそう呼ばれている)、ブログやってるんでしょ。そこに書いてまとめればいいんだよ」というアドバイスをいただきました。ダーリンに書くことを考えたのだけれど、たぶん神宮司しか興味を示してくれなさそうなので書くのは見送りました。
今日も読んでくれてありがとう。最近はもっぱら時系列データの学習をしています。。。
明日から4日間東京!明日はSBIアートオークションとゆうかちゃんと西荻窪エモ探索だ!
こんにちは、よしだじゅんやです。
さっそく今回のお題「私は、普段着たい服」について話をしよう。大事なのは、この質問は「好きな服を教えて」じゃないことだ。あくまで「普段」着たい服なのである。
服をきる理由や意義は多様で、ほんとうに多様な分野の研究者がそれについて論じている。
小難しいことを言う人は「服は身体の拡張である」という論や「不確実な身体を規定するもの」なんていう。例えば服装は社会的な属性をしめす。服を観れば看護婦かパンクロッカーの違いはよくわかる。服によって人からの印象を変えてしまうことができる。じっさい普段服を買わない人が「服ってなんだかよくわからんな」と感じるのはこの分野だろう。
https://www.amazon.co.jp/dp/4480420428/ref=cm_sw_r_li_api_i_rhZuCb34WZYZ0
この辺りは、この本を読むとなんとなくわかる。イッセイミヤケとか川久保玲さんのプレタポルテ(既成服)の記述が豊富で面白い。
でだ、僕が「普段着たい服」というのは思想的なものから離れて、もっと実用的な側面の服である。「これめっちゃあったかいじゃん」とか「肌触りが心地いい」とかそういう話。僕は他人とかの目をとっぱらったとき、人は自然にどんな服を選ぶのかを知りたい。そこにその人らしさが溢れているような気がする。
ここで、ひとつ問題がある。「着たい」と思う服ってある?もちろん僕にはあるのだけど、あやべとか「着たい」と思って服をかったり着たりしないでしょう。西武百貨店の有名なコピーに「欲しいものが、欲しいわ」というものがある。当時はやっていた「これ、売れてます」という商品コピーを踏まえて、「本当に自分の欲しいものを買おうよ」と問題を定義したのだ。そして、「これ、売れています」は現代に続く、最高のコピーライトになった。「欲しいものが、欲しいわ」をちゃんと覚えているひとなんていない。誰も、自分の意志では商品をかわなくなったのだ。当然、服もそうなのだろう。売れているから、買うのだ。
そんな人におすすめのブランドを紹介したい。「着たくないのに、毎日着ちゃう服」を知っているだろうか。つまり「着たいとは思わないけど」気づいたら着ているというコンセプトの服だ。この服は「ALLYOURS」というブランドが制作している。(全商品をクラウドファウンディングで資金調達をして制作し、パトロンにリターンとして開発製品を渡すとというスタイルのまったく新しいビジネスモデルの服屋だ。実際のところ、今までのブランドがしてきたように借金をして服を作り、それを売って利益を得るというしくみとたいしてやってることは変わらないのだが、クラファンという形をとることで、客から共犯者という位置づけに変化させ、生産量も把握できるのでストックも生まれない。というまじでスマートなビジネスをしている。かっこよすぎる。今調べたら、今までのトータル支援額が5千万に達していた。)
そこが、「さよならジーパン」とか「着る毛布」とかを販売している。きっとたいしてかつこいいわけではないけれど、ずっと着ていたくなる。そんな服を作っている人がいるのはとても嬉しくならない?名古屋に社長が来た時一瞬で会いにいってしまった。
別に人の目を気にして服を選ばなくていい。それよりも「なんか着ちゃう」を大事にしてほしい。そして「できたらなんで着ちゃうんだろう」を考えてほしい。それは素材の問題か?デザインの問題か?
僕の場合はTime for livingの紺色のパーカーと、ZOZOのジーパンを週に3日は着ています。僕と会う人はああ、あの服装ねとわかると思う。まじで同じ服ばかり着ている。理由は、「着ていて気持ちがいい」からです。ゆったりとしてかつこしがある形や素材で、かつデザインが飽きない。それに僕はインディゴ染めが死ぬほど好きだ。パーカーはインディゴではないのだが、白色の下地に粗目の生地を重ねることで、伸縮とともにインディゴ染め特有の芯の白さに似たものが現れる。それがたまらない。毎日身にまといたくなる。話し出すときりがないからこんなもんにしよう。
今日も読んでくれてありがとう。自分に正直に服を着ような。悪くないから。
こんにちちは。よしだじゅんやです。
今日は綾部が投げたお題について書こう。もうね、頭をつかってへろへろになっているので、右脳を使って回復をはかりたい。
さて、「よしだ君、○○に似てるね」の○○について考えていこう。
幼稚園の頃は「稲垣吾郎」にそっくりだった。髪の毛がさらさらでマッシュルームヘアでとてもかわいらしい子供だった。小学生になると、親にむりやり剣道の少年団に入れられた。理由は「純也は打たれ強く、礼儀のある子になってほしい」だった。残念なことが二つある。一つは髪の毛のお話し。剣道を始めると同時にサラサラマッシュルームヘアをスポーツ刈りにしたのだ。そして剣道の面をかぶって竹刀で叩かれているうちに、僕は恐ろしほどのくせ毛に変化したのである。今でもサラサラヘアに憧れて、「くせ毛 治しかた」みたいなワードを検索エンジンに放り込むのだが、そこに書かれていることは「毛根が歪んでしまっているので治しようがない」ということだった。僕は10年間くらいgoogleの検索エンジンに同じ問いを繰り返し問うてきた。googleのクロール速度やリコメンド機能は日に日に進歩していったが、「くせ毛 治し方」の答えはいっこうに変化することはなかった。認めるのは本当に苦しんのだが、おそらく、あまりにも正しいタイプの事実なのだ。「炭水化物ダイエットが有効か」という問いには議論の余地があるが、「カロリー収支をマイナスにすれば痩せる」はどうしようもなく正しい事実だ。つまり、話をまとめると、僕は今後ずっとくせ毛のまま生きていくことを余儀無くされたのだ。剣道は僕の健やかな毛根をめためたに荒らしていった。二つ目の残念なこと。それは僕に「打たれ弱く、礼儀のない人」になるきっかけを与えたことだ。人生が複雑な分岐の繰り返しだとしたら、間違いなく僕の人生は「剣道」によってあらぬ方向に進んでしまったのだろう。
本当に、本当に、よく似ていたのだ。幼稚園から小学2年まで、多くの人が僕のことを吉田ではなく「吾郎ちゃん」と呼んでいた。少なからず、それは僕のコミュニケーションのきっかけになっていたし、年上の女性に可愛がってもらうための手段として非常に有効だった。僕が「稲垣吾郎」と名乗ればすべての人は首を縦に振って握手を求めたし、僕が「稲垣吾郎」然として学校を歩くと、すべての人は道をあけて僕の顔をじっと眺めたのである。
そして、僕は小学3年の春を境に、それらすべてを失ってしまった。剣道を始めるのだ。
今日も読んでくれてありがとう。頭にわかめをのせて生きる人生。
今日のダーリンのメンバーに、
「好きな食べ物は」と聞かれたら、なんと答えますか。
というお題をなげてみました。とりあえず僕と綾部はお互いにお題を出し合うので、みんなもよかったらお題にそって書いてみて。ちなみに明日のお題は
あなた○○に似てるわね。
です。僕はよく「元貴乃花親方の息子、花田優一に似ている」と言われます。靴職人になったほうがいいのかもしれない。
さて、そんなこんなで今回のお題です。実は僕これについての文章を書いたことがあるのだよね。調べてみたら180日前(2019/01-29時点)に書かれたものらしい。やばいエモい。エモいからそのまま投げます。楽をしたいわけじゃないよ、、、、、
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声を大に話すととってもいいことがある
多くのひとは欲しがっているひとに自分が持っているものをあげようとしているし、多くのひとは君がどういう性格でどう思っているかを知ると安心するようだ。
「ぼくはアンパンが大好きなんです」なんていわれたら、「じゃあちょっとあげようかな」という気持ちになる。
「ぼくはアンパンが大好きなんです。だからたくさんのアンパンを作ってみんなを幸せにしたいんです」なんていわれたら、「じゃあちょっと、金銭的に援助しようかな」という気持ちになったりする。
近所の中学生から、ずいぶん遠くにいる実業家まで、僕のしるひとたちはずいぶんと声がおおきい。しかも「1タス1は2だ」ぐらい単純明快な事実をはずかしがることなくしゃべっている。これが意外とみそだ。きっとだれにでもわかるというところがいいのだろう。
さて、僕はというと、声は大きくも小さくもない。けれど、単純でわかりやすいことは注意して話さないことにしている。みんなが知らないことをいって偉ぶろうなんて魂胆じゃない。僕は物事にすっぱりとけりをつけちゃうのはなんだか不誠実なことだと思うのだ。
例えば、「君のすきな食べ物は」と聞かれたとする。そこで「アンパンです」と言い切るのはよほどやる気がないか、自分に自信があるかのどちらかだ。じゃあこう聞きたい、君はものすごいおなかが減っている夕食時にもあんぱんを食べたいとおもうだろうか。たぶん答えはノーだろう。「食後にまだおなかの余裕があるときにたべるアンパンが一番好き」というのが本当かもしれない。なんなら最高におなかが減っていたら何よりもカレーが好きかもしれない。
僕はね、ひとは自分でも理解できないくらい複雑なそんざいだと考えてる。だから、「よし、わからん」と言い聞かせて、なんども場合分けをくりかえしつつ自分を理解するしかないと思うのだ。それは人に限らず、社会や文化にもあてはまる。とにかく、僕たちが日々せっしている物事はそんなに簡単にいいあらわせるものではない。
自分が知らないものや、無意識のうちにあることに目をむけず、「アンパンが一番好き」なんていうのは、自分にも相手にもある意味でうそをついているようなものだ。そして、それは不誠実なこういだと思う。
だから、僕は「アンパンが好き」と大きな声ではなすひとにアンパンが集まってくるのをしり目にしつつ、できる限り正しい言葉をさがす努力をしている。自分のためにもなるし、なにより相手に誠実な態度だと信じているからだ。
くだらない文章をよんでくれてありがとう。アンパンは食べられないけれど誰かを救うことはできると思うんだ。また明日。
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なつかしい、、、やばすぎ。そしてあおいなあ。もちろん当時の僕が言いたいこともわかるけれど、時には「あんぱんが好き」と割り切ることが「やさしい」ことだってあるのだ。自分の誠実さを押し通して他人を思いやらないことは「つよいけれど、やさしくない」
この問題は、綾部とダーリンを始めたから、ようやく気づけたことだ。自分、良い選択をして歩んでるじゃないか。もっとやれ。
今日も読んでくれてありがとう。「あんパンが好き」の要領で、「やだ!」とか「通話したい!」とか好き勝手言ってます。昨日先輩に「理性がなさすぎる」としかられました。ごめいわくおかけしています。