こんにちは、よしだじゅんやです。
先週久しぶりに、地元の文化センターに脚を運ぶと「ジュニア油絵展」という展示会が開催されていた。中学生のときの思い出や高校生のころの思い出を振り返ると、なんだか懐かしくて覗いてみることにした。
僕は小学生、中学生と美術の時間が大好きだった。誰よりも集中して絵を描いたし彫刻を作った。その流れで高校に入ると美術部にはいることにした、合唱部とハンドボール部からのお誘いを断って決めた。
生きるために、書く。
こんにちは、よしだじゅんやです。
先週久しぶりに、地元の文化センターに脚を運ぶと「ジュニア油絵展」という展示会が開催されていた。中学生のときの思い出や高校生のころの思い出を振り返ると、なんだか懐かしくて覗いてみることにした。
僕は小学生、中学生と美術の時間が大好きだった。誰よりも集中して絵を描いたし彫刻を作った。その流れで高校に入ると美術部にはいることにした、合唱部とハンドボール部からのお誘いを断って決めた。
こんにちは。よしだじゅんやです。
さて、待ちにまってもはやなくなったんじゃないの?と心配の声が上がる「よしだコンペティション」の結果発表を行おうと思います。
今日一日、まじで死にたい以外の感情が死滅していた。
祖母の様態がわるくなり、親が2日間家を空けるため、暇な大学生である僕に白羽の矢が当たり、二日間みっちりとお留守番することになったのである。
2日目を迎えて完全に鬱になった。一日ぼーっとすごしていたら、僕はどれくらい社会に貢献できているんだろう。泣きたい。みたいな感情になりずっと鬱になっていた。
祖母のために夕食を作る時間になった。喉がつかえがちな祖母のためにとろみのついた卵スープと、野菜の煮物、あとみかんを用意しようと考えていた。近くのイオンに買い物に出かけると、今日は地獄みたいな天気あると知った。マッドマックスの世界を天地逆にしたような世界だった。雲が空を厚く覆い、不思議なほど黄色がかっていた。ところどころ陰影がついた空は、砂漠の荒野を空にぶちまけたような雰囲気だった。擦り減った感受性にとどめをさされたような気分になり、僕は死んだ目でイオンまで向かった。
18時のイオンの食料品売り場はすごい。当たり前だけれど、大量の人が食材を買い求めている。酒コーナーで氷結を大量に買い込んでいると、おじいちゃんと店員さんが立ち話をしていた。僕にとっては驚きなのだけれど、店員さんは本気で楽しんでおじいちゃんと会話をしているのだよな。業務中だけれど、一人の人として会話を楽しんでいる姿素敵だったなあ。
おばあちゃんのために夕食を作り、そいて自分にも麻婆豆腐を作った。二人で会話をしながら食べ、食後にマグカップでエスプッソコーヒーを飲んだ。一仕事終えたことを実感した。
不思議なんだけれど、食事を終えた僕は、憂鬱な気持ちから脱していた。生きていくためには人は食わねばならないし、料理をしなければならないし、買い物をしなくてはならないのだ。その一連の仕事を終えたらまた元の階段に戻ってきたような気がする。どんなに下手であっても、小さなものでもステップを踏むことが解決になるのだなあと改めて感じた一日だった。
今日も読んでくれてありがとう。停滞したら料理をするのわるくないね。
こんばんは、よしだじゅんやです。
今日は地元のホールでオペラを鑑賞してきました。結果からいうと、ソプラノ歌手は普通だったけれど、ピアノがとても良くて、得るものが多かったです。
僕は開始10分ぐらいで帰ろうかと思いました。寺山修司作詞の「悲しくなったときは」を演奏し始めたのですね。「悲しくなったときは、海を眺めるのだ」そうで、僕は一瞬でうつ病になって死ぬかと思いました。その場で帰ろうかと思ったのですが、他のお客さんの迷惑になるなと考えて、一部が終わるまでは観ることを決めました。
ここで、ピアノソロがありました。リストの「ラ・カンパネッラ」でした。
どうっすか。動画で見ると、「リストってこうやってマスターベーションするんだあ」みたいな感想しか出てきませんが、静まり返ったホールの中でこれを完ぺきに演奏されたら正直ぐうの音も出なくなりました。お前の右手どうなってんだよ。みたいなところからはじまって、キメの細かな高音域の波に心を奪われてしまったのですね。余韻に浸っていると。また太ったソプラノ歌手が出てきて歌い始めました。同じくリストの「おお、愛しうる限り幸せ(愛の夢)」でした。
ピアノソロを挟んでからのオペラはなぜか素晴らしくて聞き入ってしまいまいました。
僕がこのオペラをみて気づいたことは、必ずしも音楽の良し悪しで音楽を評価しているわけじゃないんだなということです。まあ、好きな音楽を想像してもらえればわかると思う。人が音楽を聞く理由は様々だ。僕にとって「ラ・カンパネラ」はどこまでいってもリストの影が残るものだ。おそらく多くのクラシック鑑賞者やクラシック奏者達が共有している感覚がある。それは「先人たちの技術を継承する尊さ」だと思う。僕たちははなから演奏家の演奏を期待していないのではないかな(語弊があるけど)。リストの音楽が現世に継承され、ホールでちゃんと聞くことができることに対して僕たちは感動しているように思える。そして、演奏者はそのような尊さのもと、日々リストの片頭痛みたいな曲を練習しているんじゃないかな。ある者はチャオを引き裂かれて泣きながらね。改めて今日感じたのはそこだった。
よく考えていくと、「伝承される尊さ」を強く感じて好感を持っているアーティストが何人か思い当たった。ピアニストのスガダイローや、ZAZENBOYSの吉田一郎のような人たちだ。
誤解を生みそうだけれど、動画の通り即興が強いジャズピアニストだ。僕が初めて彼の演奏を聞いたのは例のジャズバーで、当日はスガダイローを目当てに店は満席状態だった。ピアノとサックスのデュオだった。どちらもメインテーマからすぐに外れて、同時にソロを演奏し続けているのだけれど、手品みたいに元のテーマに戻ってきて素晴らしい着地を繰り返すのだ。あまりにスリリングな演奏に僕はろくに接客をせずに壁にもたれかかってにらみつけるように彼の演奏を聞いていた。
当日はバーのマスターの河合さんが演奏を聞きに来ていた。70代のおじいちゃんで足腰をおぼつかない部分はあるが、たまにふらっと店に現れては、カウンターに座り黒霧島の水割りを黙って飲んで帰っていく。僕からするとただのおじいちゃんなんだけれど、ジャズ界隈では有名らしくその名前を聞かない人はいない。らしい。
演奏が終わり、僕が満足気な顔をしていると、河合さんがカウンターから「おい、純也」と声をかけた。なんですかと耳を傾けると、いつもより熱くジャズについて語り始めた。「あいつは、よく勉強してるよ。世の中のリスナーは、独創的と評価するかもしれない。けれど彼の演奏の殆どが先人たちが必死の思いで培ってきた技術の積み重ねだ。彼ほど努力している演奏家はいない」と語って、店を後にした。
僕にはジャズの偉人たちの知識はないし、聞いたことすらないものがたくさんある。けれど、ジャズの古い愛好家や演奏家がスガダイローを認めるのは、どこか過去の技術を継承していく尊さを感じているからなのじゃないかな。彼らにとってはなんだけど。
今日も読んでくれてありがとう。最近ジャズの話をよくするように、また興味がわいてきています。ジャズかっこいいんだよ。クラシックもちょくちょく聞いていきたいね。
こんにちは、よしだじゅんやです。
今日はお題を出そうと思います。全員参加でよろしくお願いいたします。文章の長さは問いません。当然内容も問いません。村上龍の「SEX&ドラック」みたいな文章をかいてくれてもいいし、村上春樹の「井戸の底で瞑想してた」みたいな文章でも構いません。とにかく、お題にそって文章をかいてください。楽しみだなあ。
お題は「今週末の過ごし方」です。
すでに土曜の夕方ですが、土日にどのような生活をすごしているのか気になったので、ぜひ書いていただきたいです。
期日も設けます。土日の間に書いてください。忙しい人もゆとりのある人もいるでしょうが、内容と長さは問いませんので、自分のライフスタイルにあった契約、、、ではなくて文章を書いてくれたらオッケーです。
で、無償でやっていただくのは僕の心が痛むので、粗品も用意いたします。
「ダーリンオリジナルスマホケースとダーリンステッカー」をご用意いたしました。遠方の方には僕がパッキングをして郵送いたします。
数に限りがございますので、今回は、僕が独断と偏見で、一人を選ばせていただきます!
改めて言いますが、良い悪いではなく、あくまで僕の好みです。ので、あんまりきにしないで書いてください。スマホケースほしい人は吉田に媚びをうったり焼肉に連れていってください。
以上です。
それではみなさんの文章を楽しみにしています。そいえば最近ちょりすと三角淑女(やばそう)が入ったので彼らの文章にぜひご注目ください。
ほころびは、突如として現れ、すべてかっさらっていってしまったのだ。僕は久しぶりに落ち込んでいる。と思う。自分の実力がいかに不足しているか理解出来ていなかったし、それゆえ、改善する意志も見せることができなかった。やるせなさでいっぱいなのだ。そうだ、はてしない無力感をこう綴った人がいたなあ。
世界のすべての灯を消せ
真っ暗な夜をつくってくれ
その無力で
ただそれだけをしてくれないか
本当に、すべての灯りを消したい。暗闇の中で、無力さでひっそりと泣きたい。
今日は素晴らしい一日になるはずだったのだ。昨日の尻たたき人募集をみてメンバーのわおんが僕の睡眠の管理をしてくれることになった。その甲斐あって僕は今朝ちゃんと布団から出て仕事に向かうことができた。
それにくわえて、twitterのタイムラインを確認すると、とんでもない記事が飛び込んできた。「NUMBER GIRL再結成」だ。しかもオリジナルメンバーで、また石狩の地でライブをするそうだ。一人の純粋な向井秀徳ファンにとってこんなに衝撃的で嬉しいニュースはないのだ。また、向井秀徳の文章がいかしていた。
2018年初夏のある日、俺は酔っぱらっていた。そして、思った。
またヤツらとナンバーガールをライジングでヤりてえ、と。
あと、稼ぎてえ、とも考えた。俺は酔っぱらっていた。
俺は電話をした。久方ぶりに、ヤツらに。
そして、ヤることになった。
できれば何発かヤりたい。
最高かよ、、、向井さんに一生ついていくことを決めた。
その後も僕の大好きなアパレルブランド、レミレリーフの新作の発表があり、僕のテンションはうなぎのぼりだった。
その後、一通のメールが届いたのだよな。灯りを消してくれ。お願いだ。ほころびはずっと見える形で存在していたけれど、僕の怠慢で気に留めることをしなかぅたのだ。それらが堰を切ったように崩壊したのだ。不思議だけれど、壊れてしまうと、その仕組みは非常に簡単で、直感的に理解することができるのだ。無力に支配されている。
文章を書いていたら、落ち込んでいられないなと思った。できる限りのことはしよう。実力が足りていなかったのなら今から階段を登ろう。僕はよく休みがちなのだけれど、ダッシュをするのは得意なのだ。
今日も読んでくれてありがとう。ダーリンがあってよかった。踏ん切りがついた。限りある時間を使って僕は強くなろう。これからモリキチとハチマキと飲みだ。太宰治スピリッツを見せつけてやろうと意気込んでいる。
ダーリンの僕の文章を読んくれている人はわかると思う。僕は夏休みの課題を最後の日までためておくタイプの人間だ。それは中学、高校、大学まで変化せず今に至る。僕は典型的な計画性のない人間だった。
それは百歩譲っていいとしよう。ちょっと譲ってくれ。最近ね、自分でもやばいと思うんだけれど、「期限を守ることができない」のだ。これは深刻な問題だと思う。
これやっておいて、と言われて快諾をするのだけれど、自分のなかで気分が乗らなかったり、意義を感じないとまったく手を付ける気にならないのだ。
最近企業の紹介記事を書くという話になり、おっけーやるよということになったのだが、ダーリンばっかり書いてまったく記事に取り組むことをしない。僕としては、それそんなにやる必要あるかなあ感があるのだ。どうも納得できない部分があり、てをつける気にならないのだね。これぞゆとり世代。
ということで、今日はついにそれをネタにダーリンを書くに至ってしまった。やばいでしょ。夏休みの一行日記に「今日も宿題しませんでした。まいったか!」って書いてるようなもんだもんな。
本当に最近よく言うのだけれど、吉田の尻たたき人がほしい。形から入りたいので、まずは木刀を用意しようと思います。僕が弱音を吐いたり、仕事せずにゲームしてたり、布団からなかなか出てこないときに、木刀をもってちらつかせてもらいたい。そしたらひょっと飛び出して作業すると思う。秘書兼尻たたき人を募集いたします。対価をお支払いできたらいいのですが、当面貧乏学生なので、男を心身ともに追い詰めるのが好きというドSな方が良いかもしれません。女性が、、、いいなあ。
今日も読んでくれてありがとう。真剣に募集させていただきます。ちなみに以前、「よしだの相棒」を募集したときは、翌日に「一緒に起業しませんか」という連絡がきました。書いてみるもんだよなあ。
電車が50分間の遅れだそうだ。僕は電光掲示板の表示を確認するとすぐに駅から出た。そして駅のタリーズに入った。しかたないからダーリンを書くことにした。本当は早く帰ってジムに行く予定だったのになあ。南無。
もともと機械音痴な人間なので、テック系のことをしていると破壊的に前に進まなくなったりする。根本的に体がうけつけなかったり、深刻なエラーが出てどうしようもなくなったりするのだ。はたして僕は情報学部なんて学部に入ったのは正解だったのだろうか。たぶん、半分正解で半分は間違いだった。
「情報を応用的に扱うことに魅力を感じない」というのは深刻で、僕は大学一年の前期にC言語の授業を受けて「これは僕のための学問じゃないな」と即判断した。別に言語なので学問でもなんでもないんだけど、初めて扱う言語が静的で堅苦しかったので拒否反応がでてしまったのだろう。今はわりと感覚的なスクリプト言語を使っているので何とかこらえている。まあ、そもそも僕にはあっていなかったという点では間違いだった。
正解だった理由は、僕が大学に期待していたものはちゃんと満たされたからだ。僕ははなから勉強がしたくて大学にはいったわけではない。僕が情報学部を選んだのは「理系科目の勉強から離れて多ジャンルの学問に触れたかった」からだ。その点情報学部は素晴らしかったと思う。文理融合の学部であることに加えて、専攻分野もはちゃめちゃに広かったので、学部のなかで遊んでいるだけで面白い人に出会えたし、気分で哲学とかデザインの講義を履修することができた。僕の知的好奇心は十分に満たされていたし、リベラルアーツは、、、ちゃんと学んでるんじゃないかな、、、?と思いたい。
僕の同期はいま院生ではちゃめちゃに研究している。あれ、すごいよなあ。尊敬する。間違いなく企業は彼らを採用したい。学部から院まで6年間階段式に勉強できるひとは強すぎる。小学校からの義務教育を加味して考えると、修行僧が信仰心をもって階段を上っている姿を思い浮かべる。僕はというと、たまに階段に座って団子を食べていたと思うと、気合をいれてダッシュしたり、最終的には階段から外れて女の子と遊んでるみたいな人生だった。それと比べたらちゃんと階段上り続けている人すごすぎると思うのだ。実際僕は階段上りびととの会話が一番好きだ。僕は話さえ聞けたらいいと思うのだ、賄い飯を食べさせていただければ、僕はたのしく生きていけるので。
よしよし、意義が出てきたな。階段の外を自ら選んだ人が、階段を上る人に声をかけるのはとっても強い。つまり、我関せずな人は正直無敵状態なのだ。それは多くの場合、よろしくないことだと思うが、自分の好奇心をみたすのには最高だったりする。僕は、「学問」を我関せずなものに選んだのだ。理由は簡単でぼくの幸福度合が増すからである。
今日も読んでくれてありがとう。なんだっていい。音楽でも、学問でも、料理でも。あえて身を引けば簡単に最強になれる。ひとつくらい我関せずな分野があると楽しいよ。
I’m old fashioned, I love the moonlight
I love the old fashioned things
The sound of rain upon my window pane
The starry song that April sings
This years fancies are passing fancies
But sighing sighs, holding hands
These my heart understands
I’m old fashioned but I don’t mind it
That’s how I want to be
As long as you agree
To stay old fashioned with me.
This years fancies are passing fancies
But sighing sighs, holding hands
these my heart understands
I’m old fashioned but I don’t mind it
That’s how I want to be
As long as you agree
To stay old fashioned with me
ジャズバーでぼんやりと訊いていたら、うっかり感動して泣いてしまった曲。当日は地元のジャズボーカル教室の発表会で、おっさんおばさんが一曲ずつ課題曲を歌いあげていった。およそ聞けたもんじゃなくて、僕は適度にお客さんの注文を受けつつ、スマホで本を読んでいた。
この曲は、70代ぐらいの細身で長身な男性が歌った。いかにも神経質そうな男性で、昼食時にえびとマッシュルームのアヒージョとバケットを頼むと、検査でもするいたいにバケットとアヒージョの具をながめて交互に食べていた。器のなかに一つだけミニトマトを残してして、僕は彼の器を回収する機会を遠くから終始うかがっていたのだ。
休憩のたびに、彼は眼鏡をかけると、手元に楽譜を用意してじっと眺めていた。思いついたようにペンで楽譜に何かを書き込んだりもしていた。彼は最後までミニトマトを食べる気配はなかった。
彼の番がまわってきて、細々と歌い始めたのが「I’m old fashioned」だった。原曲よりアップテンポでやけに景気がいい「I’m old fashioned」だったのだが、本人はついていけずにずいぶん苦しそうだった。けれど、必死に伴奏にしがみついて歌う姿に僕はスマホの画面から視線を彼に投げずにいられなかった。なぜ神経質そうな彼がこの曲を選んだのか、そうして意図的にアップテンポにしたのか、必死にくらいついて歌うのはなぜか。彼にとっての「as long as you agree」は誰なんだろうかと考えていたら、僕は他人事とは思えなくなってしまったのだ。
I’m old fashioned but I don’t mind it
僕も彼も、「俺はold fashionedだ!」と胸をはって生きたい。けれど気にしないことなんて無理なんだ。どれだけ自分で言い聞かせても、人の顔を伺ってしまう自分がいるし、不安を覚えない日はない。この曲は、良い大人が、弱い自分をひたすら奮い立たせるための曲なのだ。
That’s how I want to be
As long as you agree
To stay old fashioned with me
こんなん泣いてしまうやろ。僕もいつも自分を奮い立たせている。おっさん、あんたもいい年してなかなかつれえなあ。
今日も読んでくれてありがとう。強がりじゃなく、I dont mind itって言える日が来るかなあ。なあ、おっさん。
最強の組織の作り方をたまに考える。
どうも信念のようなものを持ち続ける必要があるようだ。
先日「帰ってきたヒトラー」という映画を観た。ヒトラーが現代のベルリンにタイムワープして現れると人々はどんな反応をするかという内容の映画だ。結果を言うと、ヒトラーは現代でも莫大な支持を得て、多くの人々を統括し始める。彼の力は普遍的なモノだった。