おこんばんは、そしておやすみなさい。わおんです。
今年も残すところあと2日ですね、バイト先でも、飲み会でも、別れ際のあいさつが「よいお年を」になってきました。
今日は京都に住んでいる祖父母に日帰りで会いに行ってきました。毎年親戚の集まりで両親の帰省についていくのですが、今年は弟が受験生のため、一人で行ってきた次第です。
帰省のたびに思うの、言葉の音がぜんぜん違うなあと。
単純に言ってしまえば、イントネーションが違う!あたりまえだけど。しばらく聞いていれば耳がなれるし、ちょっと思い出してくれば「え~信じられへんなほんまー!」といった具合でそつなく反応できる。だけどなんだか、輪の中に入り切れないような感じがしなくもないななんて、思ってみたりみなかったり。
自宅では、両親はもちろん関西の訛りで話すし、私は私で半端な訛りの標準語、っていう感じの言葉を話していると思う。
けど、一歩家の外に出れば話は別。子供のころとか本当に顕著なんだけど、標準語を繰り出す彼らはちょっと意地悪で、「え、それなんかイントネーションおかしくない?」とか言葉の端々を捕まえて普通に言ってきやがる。生まれて最初に聞いていた言語が関西弁だった影響で、幼少期は完全なる関西弁を話していたけれど、友達に指摘されるのが嫌でそのうちに皆とおなじアナウンサーみたいなイントネーションで話すようになっていたし、昔の話し方は忘れてしまった。
大学生にもなれば、都外から来ている人もたくさんいるし、言葉のイントネーションもいろいろだな、なんてびっくりもしなかったけれど、あら不思議、2,3年たってみると割とみんな標準語の音でしゃべっている。話してるときに急に「どこ出身?ちょっとなまってるから気になっちゃった」とか言われ疲れたのかな、それともただ郷に入らば郷に従え的な精神?
そしてふと、わいわいと親戚が関西弁で会話しているなか、標準語ってつまらんなあ寂しいなあと思うわけです。東京で標準語で話すたくさんの人たちも、地元に帰ればその土地の音で話しますよね。それがなんだか、暖かくて愛らしいように感じるんです。私にとっては東京が故郷なわけですけど、作っては壊しの入れ替わりの激しい町と、作り物の言葉に囲まれて、その土地に根差したものがほとんどないことにちょっと寂しいななんて。
「方言いいなあ」とか気軽に褒めると失礼なやつ、とか馬鹿にしてる?とか言われてしまうけど、ほんとうに素敵だなあと思って言っています…。東京出身にそんな風に言われたらどうかお気を悪くなさらず、「いいでしょ~!」と返してあげてください…笑
私は今日も、方言に対するあこがれと、ちょっぴりの嫉妬で微妙にどっちつかずの変な話し方をしています。最近なぜか、ほんとに笑っちゃうくらい変な話し方になってきた。
ダーリンに関東の人は全然いないということだったので、話してみたい話題でした。
今日も読んでくださってありがとうございます。おたがい良い年末を過ごせますように。